岐阜県災異誌:西暦600〜1499年のデータ

西暦 月日 年号年月日 種目 記事 引用文献
649 8.13〜9.11 大化5.7 水害 池田郡粕川大洪水。沿岸の地所々欠壊、被害が多かった。 美濃気候編
679 7.14〜8.11 天武7.6 雹害 池田郡桃大の降雹あり。作物及び竹木の被害多し。 美濃気候編
706 8.13〜9.11 慶雲3.7 飢饉・疫病 東海諸国飢饉、疾疫。百姓多く死す。 続日本紀
710 5.3〜6.1 和銅3.4 飢饉 美濃、三河、遠江三国飢う。?に賑恤を加う。 続日本紀
714 11.12 和銅7.10.1 風害 美濃ほか5国大風、屋を発く。当年の租税を免ぜらる。 続日本紀
745 6.1 天平17.4.27 震災 美濃、摂津大いに震う。M7.9 美濃国殊に甚しく、人家を壊く。余震月を越えて止まず。是の日より3日3夜に亙りて震動し、美濃国櫓舘、正倉、仏寺、堂塔、百姓廬舎触るる所崩壊す。 続日本紀
760 4.20〜5.18 天平宝宇4.3. 疫病 美濃疫疾流行。 続日本紀
762 3.30〜4.28 天平宝宇6.3 干魃 美濃、東海道諸国大旱。 続日本紀
762 6.5 天平宝宇6.5.9 震災 美濃、飛騨、信濃等地震。M7.4 被害者には家毎に穀2斛を賜はる。 続日本紀
762 5.28〜6.25 天平宝宇6.5 飢饉 美濃諸国飢饉。 続日本紀
763 10.11〜11.9 天平宝宇7.9 飢饉 美濃諸国飢う。拜に之を賑給す。 続日本紀
763 10.11〜11.9 天平宝宇7.9 疫病・干害 今年亢旱し、五穀熟せずして、米価騰貴せり。是に於て、百姓飢饉に苦しむのみならず、疾疫ありて死亡数多なり。 続日本紀
765 3.26〜4.24 天平神護1.3 飢饉 美濃国飢う。拜に之を賑恤す。 続日本紀
766 10.13 天平神護2.9.5 風害 美濃、伊勢大風。官舎毀?人亦之に死す。 続日本紀
767〜768 12.26〜1.23 神護景雲1.12 飢饉 美濃国飢う。之を賑給す。 続日本紀
767〜768 12.26〜1.23 神護景雲1.12 干害 美濃ほか諸国旱し、歳穀稔らず。 続日本紀
769 9.5〜10.3 神護景雲3.8 水害 木曽川道り美濃国各務郡鵜沼村より下流数派に分れて、葉栗、中島、海西3群に流れ入り(3郡古の尾張の国とす。天正年間3郡各其の半を割って美濃国に属す)数日の間、此等の郡の田、宅を浸損し、中島郡国府庁ならびに国分、僧尼の両寺共に下流の地に在りて困難すと云う。此の年9月尾張国から言上し、其の旧に復することを請い太政官之を許した。 続日本紀
770 7.11 宝亀1.6.14 飢饉 美濃国霖雨。被損の民に賑給す。 続日本紀
772 宝亀3 飢饉 飛騨国飢う。之を賑はす。 凶荒誌
773 4.1 宝亀4.3.5 風害 飛騨大風、人飢う。之を賑給す。 続日本紀
773 4.1 宝亀4.3.5 飢饉 美濃飢うるを以って賑給す。 続日本紀
774 5.15〜6.13 宝亀5.4 飢饉 美濃飢う。之を賑給す。 続日本紀
774 7.13〜8.11 宝亀5.6 飢饉 飛騨飢う。共に賑給せらる。 続日本紀
775 9.21 宝亀6.8.22 風水害 美濃、尾張、伊勢3国暴風雨で大洪水。木曽川通り氾濫し、3国沿河の地百姓300余、牛馬1,000余頭を漂没、国分寺並びに諸寺塔19が壊れた。 続日本紀
788 延暦7.夏 干害・凶作 美濃、尾張、三河等大旱月を累ね、五穀稔らず。翌8年4月賑恤せらる。 美濃気候編
789 4.30〜5.28 延暦8.4 飢饉 美濃国穀倉を開き百姓に糶与す。 続日本紀
789 延暦8.夏 干魃 美濃ほか14国旱。 美濃気候編
790 3.20〜4.18 延暦9.3 飢饉 飛騨国飢う。賑給す。 続日本紀
790 5.19〜6.16 延暦9.4 飢饉 美濃国飢う。賑給す。 続日本紀
790 延暦9.夏 干害 9月炎旱災を為し、田疇修まらず。農畝多く荒癈す云々のことあり。本年も引き続き大旱なりしが如し。 美濃気候編
799 3.11〜4.9 延暦18.2 飢饉 美濃国飢う。賑給す。 日本後紀
800 4.28〜5.26 延暦19.4 飢饉 東濃4郡の田祖3分を免じて恒例とす。 濃飛両国通史
802 10.1〜10.29 延暦21.9 飢饉 美濃の損田の百姓を免じ、調を徴す。 濃飛両国通史
 805〜806 12.25〜1.23 延暦24.12 飢饉 美濃当年の庸を免ず。 日本後紀
817 弘仁8.夏 干魃 天下大いに旱す。安八郡北平野村大字安次伝兵衛二女夜叉姫が村民の請いに任せて雨を降らせた蛇の化身である若衆に連れられ、濃越国境の山中にある夜叉ヶ池へ入ったと云う彼の有名な故事を伝へたのもこの年である。  美濃気候編   岐阜市発展史
819 3.30〜4.27 弘仁10.3 飢饉 美濃国飢う。賑給す。 類聚国史
819 9.21 弘仁10.8.29 火災 飛騨国分寺災す。 日本災異志
820 弘仁11 疫病・飢饉 美濃飢病。 濃飛両国通史
823 8.10〜9.7 弘仁14.7 疫病・飢饉 美濃飢病。 類聚国史
824 4.3〜5.2 天長1.3 疫病・飢饉 美濃国百姓飢病すと詔して之を賑せしむ。 大日本史
827 天長4 水害 安八郡の堤防が破壊。美濃介藤原高房が之を修治した。 文徳実録
838 承和5.秋 降灰 濃飛両国降灰す。人、米華と云う。 濃飛両国通史
839 5.17〜6.14 承和6.4 飢饉 美濃恵那郡飢ゆるをもって之を賑はす。 続日本後紀
853 仁寿3.夏 疫病 美濃疱瘡流行。 文徳実録
853 仁寿3 水害 尾張国の河流が漲溢して、民水に悩む。翌年2月詔して課役を減じた。 文徳実録
854 8.24 斉衡1.7.27 水害 木曽川通り氾濫。濃尾両国沿河の民水難に苦しむ。 往昔三川出水
865 貞観7 水害 木曽川の流れ、元美濃に向いしものが、河口要塞のため、尾張国に向い雨毎に害を蒙らしむるに至ったので、尾張国より訴え、太政官の符を奉じて河口を掘さくし、旧流に向はしめたことあり。しかし、翌8年各務郡の大領河口に襲来し郡司役夫を殺し、再び河口を塞ぎ、罪に問はれたなどの事あり。変流の紛争があった。但し、現今の河道となりしは天正14年なり。 水害要録
881 6.30〜7.29 元慶5.6 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
887 7.24 仁和3.6.30 地震 美濃大地震。 三代実録
908 7.31〜8.29 延喜8.7 干魃 諸国旱。諸社に雨を祈らしむ。 濃飛両国通史
910 延喜10 干魃 諸国旱。 濃飛両国通史
913 9.3 延喜13.8.1 風害 池田郡春日谷大風あり。家屋の全半壊、竹木の倒折多し。 美濃気候編
915 延喜15 凶作・疫病 天下凶作、疾癘多し。 濃飛両国通史
931 7.25 承平1.6.8 雪害 池田郡北部積雪8尺。竹木の被害多し。 大雪史
948 8.22 天暦2.7.15 水害 本巣郡洪水。家屋の流失、人畜の死傷夥しい。 美濃気候編
961 7.16〜8.13 応和1.6 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
980 8.22 天元3.7.9 水害 池田郡春日谷出水。住家の全半壊多く、その他被害があった。 美濃気候編
997 9.24 長徳3.8.20 水害・飢饉 池田郡春日谷、霖雨大水のため大飢饉となった。 美濃気候編
998 長徳4 疫病 飛騨痲疹流行。 濃飛両国通史
1108 10.7〜11.4 天仁1.9 火災 可児大寺災す。 濃飛両国通史
1113 永久1 風水害 暴風雨出水、石津郡多良幾里山の社殿が御手洗川へ流された。 神社明細帳
1120 保安1 水害 荒城川洪水。 国府人柱碑
1131 7.26〜8.24 天承1.7 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
1134 長承3 水害・飢饉 池田郡洪水。ために大飢饉起る。 美濃気候編
1185 8.6 文治1.7.9 地震 山城、近江、美濃、伯耆諸国地大いに震う。M7.4 山槐記
1199 正治1 水害 美濃平野大洪水「一国忘米作之条万民成逃脱之思」程の被害があつた。 東大寺文書
1206 10.4〜11.1 建永1.9 飢饉 美濃国飢餓。不動倉を開く。 濃飛両国通史
1230 7.19〜20 寛喜2.6.8〜9 冷夏 8日美濃国生津庄に雪降り地に積ること2寸許り。又9日蒔田庄に雪降り雨雪2寸許り。 大日本史    吾妻鏡
1231 寛喜3 飢饉 美濃国飢饉。 濃飛両国通史
1232〜1233 12.14〜1.11 貞永1.11 飢饉 美濃国飢饉。美濃国高城西郡大久礼以上1,000余町の年貢を免じ、株河駅に施糧す。 濃飛両国通史
1238 5.16〜6.13 暦仁1.4 水害 木曽川通り下流安八郡墨俣川(長良川)羽栗郡足近川(木曽川派流)出水。浮橋流る。 吾妻鏡
1258 8.4 正嘉2.7.4 風水害 大風、洪水があり、石津郡多良村念通寺の堂宇その他を破壊した。 養老郡志
1257〜1258 正嘉年間 水害 粕川は房島の南で伊尾川に合流していたが、此の洪水により流路を変じた。 河川沿革図
1266 9.18 文永3.8.18 水害 木曽川出水。羽栗郡三宅村の人家並びに親鸞上人創設の喜瀬の総庵(寺院)が流亡した。なお文永年間数次の出水を見た。(註)喜瀬は木曽川の幹流なりし、今境川の辺なり。 美濃気候編
1294 8.23〜9.20 永仁2.8上旬 冷夏 飛騨、上旬雪積ること5、6寸。稲皆損害。 飛騨編年史要
1298 永仁6 水害 尾張河、7、8月両度の大洪水があり、井堤が切れ、大河が茜部荘内を流るるに至つた。 東大寺文書
1302 4.29〜5.27 乾元1.4 火災 武儀郡吉田新長谷寺炎上。 濃飛両国通史
1333 7.17 元弘3.6.5 水害 揖斐川通り安八郡脇野村にて平水より高きこと9尺8寸、堤塘(塩除堤)平越にて破壊す。 (註)之より先、元応元年、西暦1319年、高須輪中始めて此の堤防を築く。 往昔三川出水
1338 3.22〜4.20 延元3.3 水害 揖斐川通り高須輪中に於て、平水より8尺7寸高く、堤塘平越にて入水す。 往昔三川出水
1347 6.7 正平2.4.28 水害 揖斐川通り高須輪中、平水より1丈2尺高く、萱野堤防破壊す。 往昔三川出水
1347 6.21 正平2.5.12 水害 揖斐川通りまた出水。萱野塘堤が再び切れ入水した。 往昔三川出水
1351 2.27〜3.27 正平6.2 水害 揖斐川洪水。揖斐庄北方村、南方村、三和村等に被害があつた。 興福寺記録
1353 10.7 正平8.9.10 雷雨・風害 大風、雷雨。垂井山野震動。 続本朝通鑑   続史愚抄
1360 9.11〜10.10 正平15.8 水害 木曽川出水。安八郡勝村郷の堤3ヶ所切入る。 宝生院文書
1363 8.22 正平18.7.13 水害 揖斐川通り出水。安八郡平原の内元内野分堤塘破壊す。 往昔三川出水
1369 9.21 正平24.8.20 水害 揖斐川通り出水。1丈1尺5寸、石津郡の西小島分堤塘破壊す。 美濃気候編
1370 8.21 建徳1.7.29 水害 揖斐川通り高須輪中にて平水より1丈8尺高く、高須村堤塘破壊せり。 往昔三川出水
1381 10.9 弘和1.9.21 水害 長良川出水。上流の寺流失。弥陀坐像が厚見郡に漂着した。 立政寺文書
1382 9.7 弘和2.7.29 水害 木曽、揖斐、長良三川出水。高須輪中にて平水より1丈3尺高く、安八郡蛇池村、平原、今尾、下石津郡元西小島、その他48ヶ所堤防破壊す。 往昔三川出水
1386 7.6 元中3.6.10 水害 上保川大洪水。長滝寺金台坊が流出した。 長滝寺記録
1390 8.17 元中7.7.7 水害 揖斐郡春日村地方7月より8月まで大雨降り続き、農作物被害多し。 美濃気候編
1406 9.13〜10.11 応永13.8 水害 上保川17日、24日及び25日洪水。 長滝寺記録
1406 応永13 地震 池田郡坂本村付近大震あり。 美濃記録編
1420 7.6 応永27.5.26 水害 木曽、揖斐両川出水。安八郡脇田、石津郡西小島、同郡萱野、海西郡駒ヶ江などで堤が切れ入水した。 往昔三川出水
1421 10.27〜11.24 応永28.10 水害 揖斐郡春日村地方大洪水。 美濃気候編
1426 応永33.夏 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
1427 応永34.夏 水害 揖斐郡春日村地方大洪水。 美濃気候編
1449 8.3 宝徳1.8.12 水害 木曽、揖斐両川出水。木曽川沿いでは海西郡駒ヶ江、揖斐川沿いは安八郡蛇池の内元脇田、石津郡元西小島、同郡萱野などで、堤防破壊入水した。1丈4尺7寸。 美濃気候編
1452 11.24 享徳1.10.13 水害 揖斐川出水。下石津郡元萱野にて破堤。9尺5寸。 美濃気候編
1458 12.6 長禄2.11.1 水害 揖斐川出水。安八郡土倉にて、平水より1丈4尺3寸高く、同村堤塘破壊す。 美濃気候編
1460 6.19〜7.17 寛正1.6 水害 上保川洪水。 長滝寺記録
1461 寛正2 飢饉 天下大いに飢ゆ。 濃飛両国通史
1472 文明4 干魃 池田郡大旱 美濃気候編
1479 文明11 大雪 飛騨大雪。 飛騨編年史要
1481 3.1 文明13.2.1 大雪 飛騨大雪。 飛騨編年史要
1490 延徳2 飢饉 此の年美濃飢饉。徳政を行う。 濃飛両国通史
1492〜1500 明応年間 水害 木曽川通り羽栗郡長池村水害多く(木曽川筋即ち今の境川筋より長池に氾濫せしならん)尾張国中島郡朝宮村へ移住したが、役享禄の頃より還りて旧に復す。(註)同地方は明応、文亀年間の頃は一般に堤塘なく、享禄の頃より小なる堤防出来たるものの如し。 美濃気候編

岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』を再編集・データベース化したものです。

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