西暦 |
月日 |
年号年月日 |
種目 |
記事 |
引用文献 |
1503 |
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文亀3 |
干魃 |
池田郡大旱。 |
美濃気候編 |
1504 |
|
永正1 |
飢饉 |
飛騨飢饉。 |
益田郡史 |
1509 |
7.17〜8.15 |
永正6.7 |
水害 |
木曽、長良、揖斐3川出水。海西郡岡、駒ヶ江(出水1丈5尺5寸堤平越し)及び下石津郡元西小島、安八郡脇野、今尾にて破堤す。 |
往昔三川出水 |
1510 |
4.7 |
永正7.2.29 |
水害 |
木曽、長良、揖斐3川出水。海西郡岡、野寺(平水より1丈5尺7寸高)に切れ入る。下石津郡萱野堤が切れ入水。 |
美濃気候編 |
1510 |
9.5 |
永正7.8.2 |
水害 |
揖斐川通り下石津郡萱野堤再び切れ入水。 |
美濃気候編 |
1510 |
|
永正7 |
暖冬 |
飛騨雪降らず。 |
飛騨編年史要 |
1514 |
|
永正11.夏 |
干魃 |
池田郡大旱。 |
美濃気候編 |
1518 |
|
永正15 |
干害・飢饉 |
池田郡大旱。大飢餓死者多し。 |
美濃気候編 益田郡史 |
1521 |
|
大永1 |
暖冬 |
飛騨雪降らず。暖春季の如し。 |
飛騨編年史要 |
1530 |
6.27 |
享禄3.6.3 |
水害 |
根尾川洪水。派流藪川を生じ、揖斐川河道を変ず。沿河地方被害多し。此時、本巣郡山口地先真桑方井水口へ切込み、長瀬七郷(府内、上下長瀬、赤石、結城、来振、藪)の内、藪村は澪先にて一村流亡し、新川(即ち藪川)となり、南して揖斐川に会す。尚揖斐川(当時杭瀬川と称す)は往昔、大野郡杉野より南西に流れ、不破郡赤坂の東に至りしが、此の洪水にて杉野より南東に流れを変じて現今の川筋となれり。(註)根尾川の下流は古昔、本巣郡曽井中島にて分派し、左を本川とし、右に流るるを糸貫川とす。而して、北左派せし本川筋は後に塞がりて田地となれり。其の年詳しかならず。即ち、往古は桑山の北を流れて西郷と鵜飼の郷の間を流れ、板谷川を合せ折立村に至り、木田川を合す。又云う。根尾川は鵜飼より方県郡一日市場に出で、河渡に至る云々。同所には今尚、根尾川と称する小川ありと云う。 |
往昔三川出水 |
1530 |
6.27 |
享禄3.6.3 |
雷雨 |
飛騨一宮社後大杉へ落つ。夏豊作。 |
飛騨編年史要 |
1534 |
10.13 |
天文3.9.6 |
水害 |
郡上川大洪水。流路を変へ、新川(現長良川)を生じ、家屋の流失、死傷者が多かった。長良川従来の河筋は、山県郡中屋にて右に流れ、太郎丸、高富、梅原を経て伊自良川を入れ、方県郡岩利より南流して今川、折立、黒野を経て、同郡木田村に至り、津保川の下流(今の長良古川と称するもの)を入れ、南流し、尻毛、江口に流れていたが、此の洪水により激流は中屋村より陸地を押破り、戸田村、側島村等を貫通して、各務郡芥見村に至り、津保川に会し(中屋村より芥見村まで新川を現出)2川1大河となり、下流厚見郡早田村字馬場に於て、井水口を押し破り、更に新川(現今の本流井川と云う)を現出し、早田、今泉、若木、元池ノ上、東島、江口など諸村の地を貫通せり。然るに、後慶長16年洪水の時河道再び変じて本流は方県郡鷲山、正木の南を流るるに至りしも後、此の川も漸次埋り、元禄、寛永の頃より、水は主に井川(天文3年前は巾8間なりしと云う)に流れて現状に至りしものと云う。 |
往昔三川出水 |
1535 |
3.17 |
天文4.2.14 |
水害 |
長良川出水。死者2万余、流家数万に上つたと云う。 |
厳助往年記 日本野史 |
1535 |
7.3 |
天文4.7.1 |
水害 |
また、長良川出水。溺死者数うべからずと云う。 |
仁岫録 |
1537 |
|
天文6 |
凶作 |
飛騨凶作。5月より霖雨。 |
大野郡史 |
1539 |
9.29 |
天文8.8.17 |
水害.飢饉 |
池田郡春日谷地方に大洪水あり、尋で大飢饉となる。 |
厳助往年記 美濃気候編 |
1540 |
|
天文9 |
水害 |
池田郡春日谷地方大洪水あり。之がため、大飢饉となり死者多し。 |
美濃気候編 |
1544 |
7.28 |
天文13.7.9 |
水害 |
長良川洪水。岐阜中川原を押し抜き流れ、市神榎が流亡した。 |
忠節用水記 |
1545 |
|
天文14 |
飢饉 |
飛騨大飢饉。餓死者多し。 |
上宝村誌 |
1547 |
5.19〜6.17 |
天文16.5 |
飢饉.火山 |
飛騨飢饉。白山噴火。白川郷は作物枯凋すると云う。 |
飛騨編年史要 |
1547 |
10.6 |
天文16.8.23 |
水害 |
揖斐川通り出水。高須輪中にて平水より高きこと1丈4尺9寸。安八郡今尾、下石津郡元西小島堤塘破壊入水す。 |
往昔三川出水 |
1548 |
8.9 |
天文17.7.6 |
水害 |
木曽川通り海西郡駒ヶ江、揖斐川沿い安八郡脇田(平水より高きこと1丈5尺)にて堤破る。 |
往昔三川出水 |
1549 |
5.8 |
天文18.4.11 |
水害 |
揖斐川通り下石津郡元萱野にて平水より高きこと1丈1尺5寸にて同所堤塘破壊す。 |
往昔三川出水 |
1550 |
9.12 |
天文19.8.2 |
水害 |
揖斐川通り出水。安八郡上開発村及び津村地内にて堤防数ヶ所破壊し、家屋の流失多し。 |
往昔三川出水 |
1550 |
10.10〜11.8 |
天文19.9. |
冷夏 |
飛騨初雪降ること一寸許り。 |
飛騨編年史要 |
1554 |
|
天文23. |
凶作 |
飛騨白山噴火し土砂を吹き飛ばし白川村内五穀一切実らず。 |
白川日記 |
1559 |
7.5〜9.1 |
永禄2.6〜7. |
冷夏 |
飛騨例年より寒さ厳しく、6月中旬頃より雪降りて寒雨止む時なく乗鞍より吹雪下す。 |
飛騨遺乗合府 |
1561 |
5.14〜6.12 |
永禄4.4. |
水害 |
長良川出水。安八郡大森村地内堤防14間破壊。 |
往昔三川出水 |
1566 |
10.14 |
永禄9.9.2 |
水害 |
長良川大水。山林田野を流し、川瀬を変じた。之を「枝広の洪水」と云う。 保戸嶋村保明過半流亡。又牧田川も大水、高畑字将棋頭で2派となり、河状を変じた。 |
山県郡史 養老郡史 |
1571 |
5.24〜6.22 |
元亀2.5 |
水害 |
木曽川大水。沿河の地に激流漲溢す。支川河木川も氾濫したが、被害不明。 |
往昔三川出水 |
1570〜1572 |
|
元亀年中 |
火災 |
飛騨白川照蓮寺炎上す。 |
飛騨編年史要 |
1572 1573 |
|
元亀3 天正1 |
水害 |
2ヶ年に亘り海津郡に洪水あり。時々大瀦水あり。家屋農作物の被害多く、度々藩主の救助を受け免租された。 |
美濃気候編 |
1578 |
6.17 |
天正6.5.12 |
水害 |
大雨洪水。被害は詳らかでない。 |
乙津寺記録 |
1584 |
|
天正12 |
干害 |
下石津大旱。人民飲料水に苦しむ。 |
美濃気候編 |
1586 |
1.18 |
天正13.11.29 |
震災 |
飛騨白川谷、死者300。M7.9近江長浜、美濃大垣震火。同年硫黄岳大噴火し、溶岩山麓道路を埋め、信濃峠一時杜絶するとのことなるも、噴火のためか、地震のためか明瞭ならず。 |
大日本地震資料 |
1586 |
8.9 |
天正14.6.24 |
水害 |
木曽川大洪水。各務郡前渡村以西流路を変じた。現木曽川を生じ、流亡した村落多い。この時駒塚、加賀野井両村の間に逆川を分派した。下流高須輪中では水嵩2丈程、輪中堤残らず水中に没し、堤の切れた所108ヶ所の多きに上つた。この時、牧田川も大出水、沿村各地を害す。(註)この洪水後の木曽川筋を以つて濃尾両国の境とした。 |
往昔三川出水 |
1595 |
9.13 |
文禄4.8.10 |
水害 |
木曽川出水。羽栗郡長池村の堤塘破壊し、同村及び田代村の寺及び民家が流失、対岸の里、小牧でも堤が欠壊した。 |
国秘録 |
1596 |
6.4 |
慶長1.5.9 |
水害 |
尾張、美濃国洪水。 |
当代記 |
1596 |
8.5 |
慶長1.7.12 |
水害 |
石津郡多良地方豪雨、多良川洪水。山野を押し流した。 |
浄徳寺記録 |
1597 |
|
慶長2 |
水害 |
長良川通り出水。厚見郡早田村にて家屋流失す。 |
往昔三川出水 |
1598〜1599 |
12.28〜1.26 |
慶長3.12 |
火災 |
高山町大火。 |
飛騨編年史要 |
1598 |
|
慶長3 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡光法寺村にて堤塘破壊。同村及び中島郡須賀、大浦、三柳村にて人畜死傷、家屋の流失あり。反別52町外旧高1,500石程の地砂入、川欠となる。 |
往昔三川出水 |
1602 |
6.3 |
慶長7.4.13 |
水害 |
美濃国大水。木曽川通り羽栗郡三谷村堤1,000間余切れ、人畜の溺死、家屋の流失が多く、上流中野村の堤も切れた。 |
当代記 |
1604 |
9.7 |
慶長9.8.14 |
風害 |
美濃、伊勢、尾張、近畿、東海道諸国大風。 |
当代記 徳川実記 |
1604 |
9.28 |
慶長9.閏8.5 |
風害 |
美濃、伊勢、尾張諸国大風。 |
当代記 |
1605 |
9.3 |
慶長10.7.20 |
水害 |
呂久川堤、東西2ヶ所宛切れ、又大垣の下でも切れて、大垣、高須両輪中入水した。 |
当代記 |
1605 |
9.6 |
慶長10.7.23 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡藤掛村堤が切れ、家屋を流失した。 |
当代記 |
1606 |
7.7 |
慶長11.6.3 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡江川堤防破壊す。之を「伝馬切れ」と云う。 |
往昔三川出水 |
1606 |
10.2 |
慶長11.9.1 |
風害 |
美濃、近江、伊勢大風。(8月29日夜より1日巳刻まで)この他四国、近畿大風。 |
当代記 |
1607 |
10.4〜5 |
慶長12.8.14〜15 |
水害 |
美濃大水。木曽川通り羽栗郡米野村の堤400間程切れ入水。また、河渡川(長良川)でも破堤し、家屋が流失した。 |
当代記 |
1608 |
6.3 |
慶長13.4.21 |
水害 |
美濃、尾張大水。 |
当代記 |
1608 |
9.9 |
慶長13.8.1 |
水害 |
木曽川出水。羽栗郡村々堤塘所々で欠壊。 |
往昔三川出水 |
1609 |
9.8 |
慶長14.8.10 |
風害 |
大風。美濃、尾張、三川は10日午刻より亥刻まで吹く。 |
当代記 |
1609 |
9.14 |
慶長14.8.16 |
水害 |
木曽川大洪水。前年8月の水より3尺程高し。 |
当代記 |
1610 |
6.23 |
慶長15.5.3 |
水害 |
木曽川洪水。名古屋へ逓送する材木が残らず押し流された。 |
往昔三川出水 |
1610 |
7.8 |
慶長15.5.18 |
水害 |
西美濃大水。堤残らず切れる。 |
当代記 |
1610 |
7.31 |
慶長15.6.12 |
水害 |
木曽川洪水。中島郡加賀野井及び尾張国丹羽郡山名村、葉栗郡宮田村でも堤防が破れた。 |
往昔三川出水 |
1611 |
3.7 |
慶長16.1.26 |
火災 |
笠町(美濃)焼失。 |
談海後編 |
1611 |
9.18 |
慶長16.8.12 |
水害 |
長良川洪水。方県郡長良村崇福寺前、川となる。 |
往昔三川出水 |
1612 |
5.1〜5.30 |
慶長17.4 |
水害 |
木曽川洪水。尾張方堤塘所々破壊、美濃方の水害不詳。 |
往昔三川出水 |
1612 |
7.2 |
慶長17.6.22 |
風害 |
大風。美濃、伊勢、尾張3ヶ国強く吹く。 |
当代記 |
1612 |
7.24 |
慶長17.6.26 |
水害 |
木曽川通り大水。海西郡外浜村堤その他で切れ水害を蒙る。 |
往昔三川出水 |
1612 |
8.27 |
慶長17.8.1 |
風水害 |
風雨、洪水。昨今の雨に8月1日朝大水、美濃国曽称堤切れ大垣へ入水、大垣の下の堤も切れる。 |
当代記 |
1612 |
9.26 |
慶長17.9.2 |
風水害 |
大風雨。美濃大洪水。5,000人死ぬ。近江、伊勢、美濃尾張は風強し。 |
談海後編 |
1613 |
6.17 |
慶長18.4.29 |
水害 |
木曽川通り各務郡前渡村、その他下流数ヶ所で破堤。 |
当代記 |
1614 |
4.1 |
慶長19.2.22 |
水害 |
木曽川洪水。尾張国堤切れ、田畑損亡数うべからず。美濃国の被害は不詳。 |
美濃気候編 |
1614 |
6.6 |
慶長19.4.29 |
水害 |
霖雨、洪水。木曽川通り洪水、前渡堤切れ、その他美濃方の堤切れ多い。また、藪川でも洪水があつたが、被害不詳。 |
当代記 往昔三川出水 |
1614 |
6.19 |
慶長19.5.12 |
水害 |
天文13年以来の大水。先月末の大水で切れた諸国の堤、復旧前のこととて、又ぞろ切れ入り、和泉、河内、摂津、江州、美州、尾州の6ヶ国が取り分け被害多し。 |
当代記 美濃気候編 |
1614 |
7.9 |
慶長19.6.3 |
水害 |
杭瀬川筋安八郡曽根堤切れ、夜半大垣へ入水、酒已下皆水になる。 |
当代記 徳川実録 |
1614 |
8.6〜9.3 |
慶長19.7 |
水害 |
長良川洪水。方県郡長良村崇福寺前へ切入り新川を生ず。 |
崇福寺古図 |
1615 |
2.12 |
元和1.1.15 |
大雪 |
近江、美濃境4尺。 |
当代記 |
1615 |
4月下旬 〜5月上旬 |
元和1.4.上旬 |
凶作・飢饉 |
東濃降灰。秋作不良、大飢饉。 |
濃飛両国通史 |
1615 |
5.28〜6.25 |
元和1.5 |
雹害 |
池田郡大降雹あり。被害大なり。 |
美濃気候編 |
1616 |
7.14〜8.12 |
元和2.6 |
水害 |
揖斐川通り安八郡蛇池村脇田堤切れ、百輪中入水。 |
往昔三川出水 |
1616 |
9.11〜10.10 |
元和2.8 |
水害 |
揖斐川通り洪水。再び脇田堤切れ、翌3年正月澪止め成る。 |
往昔三川出水 |
1617 |
5.13 |
元和3.4.9 |
水害 |
木曽川洪水。爾来8月までに7度出水。松倉島(小網と牛子との間の村である)流亡した。 |
尾張地名考 |
1617 |
6.4〜7.2 |
元和3.5 |
水害・凶作 |
揖斐川通り安八郡脇田堤が切れ、7月に至るも澪止め成らず。高須輪中諸村大いに困却し、依つて許しを受けて大榑川を新規掘割。同5年12月に竣工したが、この間4ヶ年不作なり。(註)後に大榑川は廃川となる。 |
往昔三川出水 |
1618 |
6.23〜7.21 |
元和4.5 |
水害 |
牧田川出水。多芸郡島田村、高畑村、村境の堤14間切入り、耕地数町歩を害す。また、粕川洪水、池田郡黒田村で川欠した。 |
美濃気候編 |
1619 |
9.14 |
元和5.8.7 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡江川村堤塘破壊。俗に之を「トンゴ切れ」と云う。また、同郡下流の小化村は残らず流亡して、現今河川となる。この他、美濃、尾張の田畑の損亡多し。(註)小化村は松笠の下、木曽川の中にあつた。 |
往昔三川出水 |
1620 |
|
元和6.夏 |
水害.飢饉 |
6日以後霖雨2ヶ月以上に亘り、7月中旬の豪雨にて、百輪中堤平越しとなり、海西郡横江村の堤防破れ、その他輪中堤防大破し、一面の泥海となり、貧民餓死するものあり。この際、脇田村池出来る。 |
美濃気候編 |
1615〜1623 |
|
元和年間 |
水害 |
武儀川通り山県郡三輪村(元宮上村)字宮前堤防50間破れ、耕地、家屋流亡す。 |
往昔三川出水 |
1622 |
|
元和年間8 |
凶作 |
飛騨凶荒。 |
飛騨編年史要 |
1625 |
9.2〜10.1 |
寛永2.8 |
水害 |
木曽川大水。長良川漲溢し、安八郡善光村南境に於て堤塘100間決壊。また、上流厚見郡池の上、東島で破堤した。 |
往昔三川出水 |
1626 |
7.9 |
寛永3.5.16 |
水害 |
木曽川通り各務郡前渡村及び長良川沿い安八郡善光村堤70間破壊す。 |
往昔三川出水 |
1627 |
3.8 |
寛永4.1.21 |
地震 |
諸国大震。池田郡の地亦震う。 |
美濃気候編 |
1627 |
9.15 |
寛永4.8.6 |
水害 |
長良川洪水。被害景況詳らかならず。 |
美濃気候編 |
1627 |
|
寛永4.夏 |
干魃 |
池田郡大旱。 |
美濃気候編 |
1629 |
5.26 |
寛永6.4.4 |
水害 |
長良川洪水。海西郡野寺村及び幡長村にて破堤122間に上る。 |
往昔三川出水 |
1630 |
9.7〜10.5 |
寛永7.8 |
水害 |
長良川洪水。厚見郡水位10合余、池上村にて200間、東島村388間、堤防破壊し、島輪中に入水。また、揖斐川通り房島堤も切れる。 |
往昔三川出水 |
1630 |
|
寛永7 |
飢饉 |
飛騨大飢饉、重頼家宝雲山肩衝を費って之を救う。 |
大野郡史 |
1631 |
|
寛永8 |
水害 |
長良川洪水。10合余。同川筋の破堤500間に上る。 |
県29年調べ |
1631 |
|
寛永8 |
飢饉 |
飛騨大飢饉。 |
大野郡史 |
1635 |
5.3 |
寛永12.4.14 |
水害 |
長良川大水。水位10合。島輪中に入水、荒地出来、部内一円水下、作毛悉く皆被害。 |
往昔三川出水 |
1635 |
9.12〜10.10 |
寛永12.8 |
水害 |
長良川下流海西郡野寺村堤186間破壊、また、揖斐川堤も切れた。 |
往昔三川出水 |
1636 |
|
寛永13 |
水害 |
長良川通り方県郡長良村崇福寺前破壊し川瀬変り、厚見郡早田村馬場にありし長良川番所を中河原に移す。 |
往昔三川出水 |
1638 |
8.10〜9.7 |
寛永15.7 |
水害 |
長良、武儀、津保の諸川出水。其の他山県郡上ノ谷川出水切入る。長良川通り中島郡大須村入水し、徳林寺が流失。 |
往昔三川出水 |
1640 |
|
寛永17 |
凶作・飢饉 |
飛騨国中凶作、飢饉。餓死者多し。 |
濃飛両国通史 |
1641 |
7.19 |
寛永18.6.12 |
水害 |
吉田川大洪水。 |
県治水史 |
1641 |
|
寛永18 |
水害 |
木曽川通り各務郡前渡村の堤584間破る。 |
往昔三川出水 |
1641 |
|
寛永18 |
飢饉 |
飛騨飢饉。飛騨領主重頼家宝雲山茶入れを売り三千金を得て、飢民を救う。 |
飛騨編年史要 |
1641 |
|
寛永18 |
干魃 |
池田郡春より夏まで大旱。 |
美濃気候編 |
1642 |
|
寛永19 |
水害 |
揖斐川通り安八郡福塚村堤塘130間破壊。 |
往昔三川出水 |
1645 |
|
正保2 |
水害 |
揖斐川洪水。新たに中須川を生じた。 |
河川革命図 |
1647 |
7.3〜7.31 |
正保4.6 |
水害 |
牧田川沿い多芸郡大墳村堤防53間切れ入り、耕地数町歩を害す。 |
往昔三川出水 |
1649 |
9.26 |
慶安2.8.20 |
水害 |
木曽川洪水。堤防所々破壊し、木曽木材夥しく流失す。 |
往昔三川出水 |
1650 |
9.26〜27 |
慶安3.9.1〜2 |
水害 |
未曽有の洪水と云はれ、濃洲の低地は悉く水底に埋没し、岐阜、養老の間干上りたる所なく、舟で往来することが出来たと云う。木曽川通り羽栗郡江川、中島郡加賀野井其の他で破堤、長良川堤平越しとなり、安八郡にて破堤す。 揖斐川は大野郡房島、安八郡大島、発、津、佐渡等にて堤防破壊。大垣輪中堤防47〜48里の中、過半決壊、大垣城内に入水し、市街は悉く浸水、町家の庭にて水深8尺余。大垣領内のみにて死者1,453人(その他村々死者1,553人計3,006人)牛馬合せて710頭死し、流家、壊家3,502戸あり。この他、大垣領内外の橋悉く流失、材木45,000本、竹材30,000束、舟数10叟流失など被害甚し。藪川では、大野郡稲富上秋にて堤防破れ、稲富にて高520石の地押流される。牧田川通り上石津郡牧田堤数ヶ所破壊、耕地を害す。俗に「ヤロカの大水」又は「枝広の大水」と云う。 |
往昔三川出水 大垣市史 |
1651 |
9.15〜10.14 |
慶安4.8 |
水害 |
木曽川洪水。中島郡八神村にて80間、石田村70間、城屋敷村65間、一色村55間、長間村70間の堤塘が破壊。 |
往昔三川出水 |
1652 |
11.9 |
承応1.10.9 |
火災 |
郡上八幡大火。 |
濃飛両国通史 |
1653 |
7.3 |
承応2.6.9 |
水害 |
揖斐川大水。下石津郡宮地村に於て水量8合9勺。同所の堤塘破壊せり。 |
往昔三川出水 |
1653 |
8.23 |
承応2.7.1 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡松本村で破堤す。 |
往昔三川出水 |
1653 |
9.22〜10.21 |
承応2.8 |
水害 |
揖斐川出水。大野郡島村、福島村にて堤塘150間破壊。耕地数10町歩荒地となる。 |
往昔三川出水 |
1654 |
8.24 |
承応3.7.12 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡江川村その他村々で堤塘破壊す。 |
往昔三川出水 |
1655 |
7.4〜8.1 |
明暦1.6 |
水害 |
牧田川出水。上石津郡牧田村堤塘数ヶ所決壊、耕地川敷となる。是年庄川洪水あり。 |
美濃気候編 越中史料 |
1656 |
4.16 |
明暦2.3.22 |
水害 |
可児川出水。120間破堤。また多芸郡津屋川出水、河道を変ず。 |
往昔三川出水 |
1658 |
8.15 |
万治1.7.17 |
風水害 |
美濃国大風、洪水。 |
徳川実紀 |
1659 |
10.16〜11.14 |
万治2.9 |
水害 |
木曽川通り中島郡馬飼村及び長良派川、大榑川沿い、安八郡海松新田堤塘破壊。また、牧田川沿い多芸郡大墳村で堤長21間切入り、耕地数町歩を害す。 |
往昔三川出水 |
1660 |
7.8〜8.5 |
万治3.6 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡沿河の村々破堤、家屋の流失多く、また揖斐川も洪水にて大垣輪中入出し、大垣城内へも押し入った。 |
往昔三川出水 |
1661 |
7.16 |
寛文1.6.20 |
水害 |
揖斐川通り下石津郡福岡村堤塘破壊す。 |
往昔三川出水 |
1662 |
6.16 |
寛文2.5.1 |
震災 |
美濃諸国の地大いに震い、人畜屋舎被害多し。M7.6 |
大日本地震史料 |
1663 |
|
寛文3 |
干魃 |
東濃、九州、江戸大旱。 |
濃飛両国通史 |
1664 |
9.20〜10.18 |
寛文4.8 |
水害 |
長良川出水。武儀郡曽代村、上白金村、下白金村などにて堤防破堤、耕地、山林など荒地又は川敷となる。板取川沿い武儀郡長瀬村にても堤塘100間を破壊、耕地の流亡多し。 |
往昔三川出水 |
1665 |
9.9〜10.8 |
寛文5.8 |
水害 |
飛騨川の支川、白川洪水。加茂郡越原村を初め沿河の地激流漲溢して田圃を害し、家屋の流亡多し。 |
往昔三川出水 |
1666 |
7.2〜7.31 |
寛文6.6 |
水害 |
揖斐川筋出水。安八郡曽根村堤破れ、大垣輪中入水、床上に及ぶ。 |
美濃気候編 大垣市史 |
1666 |
8.3 |
寛文6.8.1 |
水害 |
木曽川洪水。美濃にては田畑高9,300石入水、家屋24軒流失す。尾張の被害特に激甚であった。 |
玉露叢 美濃気候編 |
1668 |
9.7〜10.5 |
寛文8.8 |
水害 |
飛騨、高原川大水。吉城郡船津の板橋が流失した。 |
飛騨編年史要 |
1670 |
7.17〜8.15 |
寛文10.6 |
水害 |
長良川支川大榑川通り安八郡海松新田の堤塘破壊す。 |
往昔三川出水 |
1672 |
6.25〜7.23 |
寛文12.6 |
水害 |
長良川通り武儀郡曽代村堤塘破壊、耕地流亡あり。 |
往昔三川出水 |
1673 |
4.17〜5.16 |
延宝1.3 |
水害 |
木曽川通り羽栗郡その他沿河の地及び大榑川沿い、安八郡海松新田堤塘破壊す。 |
往昔三川出水 |
1674 |
4.3 |
延宝2.3.25 |
水害 |
長良川通り海西郡野寺村の堤塘破壊し、支流板取川沿い武儀郡片知村の耕地流亡。また、牧田川沿い多芸郡大墳村堤30間切入り、耕地数町歩を害す。 |
往昔三川出水 |
1674 |
8.31 |
延宝2.8.1 |
水害 |
美濃加納、洪水にて堤防800間破れ、田圃27,000石被害を蒙る。 |
徳川実紀 |
1674 |
9.11 |
延宝2.8.12 |
水害 |
木曽川通り下石津郡福江村本堤並びに中堤萓野にて破壊す。 |
往昔三川出水 |
1674 |
|
延宝2 |
水害 |
揖斐川通り安八郡平村地内堤防決壊入水す。大垣町家にて襖引手迄浸水。 |
往昔三川出水 大垣市史 |
1674 |
|
延宝2 |
飢饉 |
飛騨飢饉。 |
濃飛両国通史 |
1675 |
7.25 |
延宝3.6.3 |
風水害 |
美濃加納大風雨。田畑大半損亡。 |
玉露叢 |
1675 |
7.23〜8.20 |
延宝3.6 |
水害 |
長良川派川大榑川通り安八郡下大榑村堤防60間破壊す。 |
往昔三川出水 |
1675 |
|
延宝3 |
飢饉 |
飛騨前年に続き飢饉。大凶荒。高山城下餓死するもの数万に及ぶ。 |
飛騨編年史要 |
1676 |
8.13〜14 |
延宝4.7.4〜5 |
風水害 |
大風雨、洪水。木曽川通り中島郡八神村堤切れ、また可児川沿河の地堤150間破る。 |
往昔三川出水 山鹿素行日記 |
1676 |
10.8〜11.5 |
延宝4.9 |
水害 |
長良川支川武儀川通り武儀郡跡部村堤88間破れ、田畑被害多し。 |
往昔三川出水 |
1677 |
7.3 |
延宝5.6.4 |
竜巻 |
美濃竜巻。土岐郡小田村。 |
濃飛両国通史 |
1677 |
6.30〜7.29 |
延宝5.6 |
水害 |
上之保川通り(長良川上流)郡上郡有阪村に新川を生じ、耕地5.6町歩川敷となる。また、長良川の派川大槫川通り安八郡下大槫新田の堤80間を破壊。 |
往昔三川出水 |
1677 |
|
延宝5 |
水害 |
粕川流れを変ず。 |
河川沿革図 |
1678 |
9.19 |
延宝6.8.4 |
水害 |
濃尾両国大雨、洪水。 |
徳川実紀 |
1679 |
2.9 |
延宝6.12.28 |
火災 |
大垣大火。300余戸を焼く。 |
濃飛両国通史 |
1679 |
6.23 |
延宝7.5.15 |
水害 |
揖斐川通り下石津郡帆引新田本堤並びに札野中堤破壊。 また、飛騨諸川満水し、橋梁流失多し。 |
往昔三川出水 大野郡史 |
1679 |
8.7〜9.4 |
延宝7.7 |
水害 |
飛騨洪水。 |
濃飛両国通史 |
1679 |
10.11 |
延宝7.9.7 |
水害 |
高須輪中萱野村地内堤再び切り入る。 |
三摩我観録 |
1679〜1680 |
12.3〜1.1 |
延宝7.11 |
慧星 |
慧星現はる。 |
濃飛両国通史 |
1681 |
3.28 |
天和1.2.9 |
地震 |
東濃地震。 |
大日本地震史料 |
1681 |
5.18〜6.15 |
天和1.4 |
凶作・飢饉 |
東濃降灰。秋作不良大飢饉。 |
濃飛両国通史 |
1681 |
8.3〜4 |
天和1.6.20〜21 |
風水害 |
美濃国大風雨。20日晩景に及んで風雨烈しく、夜に入って大風、大雨あり。丑の刻になって風雨漸く止む。大垣市街の崩家、士族家敷209軒、町家104軒、大垣領内では3.000余軒、死者11名、馬2頭、城の内外破損甚しく。その数を知らず。 |
大垣市史 |
1681 |
8.6 |
天和1.6.23 |
水害 |
大垣輪中入水。 |
三摩我観録 |
1681 |
9.2 |
天和1.7.20 |
風水害 |
揖斐川通り大野郡三輪村堤防40間破壊す。(註)日本気象史料によれば、この日伊勢、尾張、暴風雨とあり。 |
往昔三川出水日本気象史料 |
1681 |
9.25 |
天和1.8.14 |
風水害 |
揖斐川通り大野郡上野村堤防50間破壊す。 |
往昔三川出水 |
1681 |
10.15 |
天和1.9.4 |
水害 |
木曽川通り下石津郡福江村本堤及び萱野中堤切れ入水。 |
往昔三川出水 |
1683 |
8.15〜16 |
天和3.6.23〜24 |
水害 |
揖斐、長良両川洪水。長良川通り安八郡森部村堤70間、南今ヶ渕村70間を破り、また、逆川沿い(長良支川)中島郡江吉良村堤60間、揖斐川沿い安八郡曽根村堤28間を破壊し、大垣町入水。城下町床上2尺7寸、城内三ノ丸御台所内庭にて膝節まで浸水、人々7月1日まで二階に住居す。なお、大垣輪中下筋にても堤塘所々破壊し、市街は南北二方より水押し入る。 |
往昔三川出水 大垣市史 |
1683 |
|
天和3. |
水害 |
阿木川洪水。大井橋が流失した。 |
古山家記録 |
1684 |
3.16〜4.14 |
貞享1.2. |
水害 |
可児川洪水。可児郡内にて堤200間破壊。 |
往昔三川出水 |
1684 |
8.11〜9.9 |
貞享1.7 |
干魃 |
飛騨諸国大旱。 |
日本気象史料 |
1686 |
4.1 |
貞享3.3.18 |
火災 |
今泉村から出火。被害次の通り。岐阜県42ヶ町、家数1,450軒、今泉村4ヶ町、家数212軒、古屋敷村6ヶ町、家数222軒。明屋敷村、家数211軒、〆家数1,921軒。死者2、土蔵400余の内40残る。 |
岐阜市発展史 |
1687 |
7.14 |
貞享4.6.6 |
水害 |
木曽川洪水。加茂郡取組村にて中仙道に氾濫。また、神通川洪水。木材多く流れる。 |
往昔三川出水 富山市史 |
1687 |
10.2 |
貞享4.8.26 |
水害 |
木曽川洪水。加茂郡取組村に於て、激流のため民家23戸流失、耕地の流亡多し。 |
往昔三川出水 |
1688 |
9.21〜13 |
元禄1.8.18〜19 |
風水害 |
大風雨、洪水。揖斐川通り大野郡三輪村及び上野村堤塘所々決壊。また、揖斐川は是迄安八郡平村より古宮村、深地村、難波野村へ流れ居りしが、河線変じて牧村の東へ流れ以後本流となる。また、中須川も河状を変じ揖斐川へ直流する。此の時、大垣輪中へ入水、流家5軒、潰家29軒、堤切れた所20ヶ所、浸水田畑10,700石余。 |
往昔三川出水 大垣市史 |
1689 |
5.19〜6.16 |
元禄2.4 |
水害 |
可児川出水。可児郡にて堤防50間破壊。 |
往昔三川出水 |
1690 |
9.16 |
元禄3.8.14 |
水害 |
長良川派川大榑川筋安八郡大藪村堤塘破壊。 |
往昔三川出水 |
1691 |
4.28〜5.27 |
元禄4.4 |
水害 |
長良川通り安八郡大森村定50間及び津屋川沿い多芸郡釜之段新田で破堤入水。 |
往昔三川出水 |
1691 |
5.28〜6.25 |
元禄4.5 |
水害 |
長良川派川大槫川筋安八郡海松新田堤50間切れ、下大槫新田でも堤塘破壊。 |
往昔三川出水 |
1691 |
6.29〜30 |
元禄4.6.4〜5 |
水害 |
木曽川通り海西郡駒ヶ江村、揖斐川通り安八郡難波野村破堤、大垣市街に入水。人民3日間二階住いをなす。 |
往昔三川出水 |
1691 |
|
元禄4 |
凶作・飢饉 |
飛騨飢饉、稲作凶。 |
飛騨編年史要 |
1691 |
|
元禄4 |
疫病 |
飛騨痲疹流行。 |
飛騨編年史要 |
1692 |
10.13 |
元禄5.9.4 |
火災 |
大垣大火。 |
続皇年代略紀 |
1693 |
7.3〜8.1 |
元禄6.6 |
水害 |
長良派川大槫川筋安八郡大藪村堤塘破壊。また、牧田川筋多芸郡大墳村堤12間切れ入水した。 |
往昔三川出水 |
1693 |
|
元禄6 |
疫病 |
美濃疫癘流行。 |
濃飛両国通史 |
1694 |
9.19〜10.18 |
元禄7.8 |
水害 |
長良川通り中島郡小藪村堤90間破壊した。また、此の年洪水のため、吉城郡船津の板橋流失す。 |
往昔三川出水飛騨編年史要 |
1695 |
9.3 |
元禄8.7.25 |
風害 |
方県村付近大風。 |
稲葉郡志 |
1696 |
3.5 |
元禄9.2.2 |
火災 |
美濃加納東天神町より出火。136軒焼失。 |
加納町史 |
1696 |
9.17 |
元禄9.8.21 |
水害 |
飛騨出水あり。 |
飛騨編年史要 |
1697 |
6.19 |
元禄10.5.1 |
水害 |
飛騨出水。 |
飛騨編年史要 |
1698 |
8.1 |
元禄11.7.5 |
火災 |
岐阜矢島町より出火。町数22町被害家数803軒、毀家11軒、土蔵2という大火があった。 |
岐阜市発展史 |
1699 |
7.28 |
元禄12.7.2 |
水害 |
木曽川通り海西郡日原村、長良川通り堤防所々破壊す。揖斐川筋も被害あり。また、津屋川沿い多芸郡志津新田堤も切れ入水す。 |
往昔三川出水 |
1699 |
9.8 |
元禄12.8.15 |
風害 |
飛騨大風。 |
飛騨編年史要 |