岐阜県災異誌:西暦1500〜1699年のデータ

西暦 月日 年号年月日 種目 記事 引用文献
1503 文亀3 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
1504 永正1 飢饉 飛騨飢饉。 益田郡史
1509 7.17〜8.15 永正6.7 水害 木曽、長良、揖斐3川出水。海西郡岡、駒ヶ江(出水1丈5尺5寸堤平越し)及び下石津郡元西小島、安八郡脇野、今尾にて破堤す。 往昔三川出水
1510 4.7 永正7.2.29 水害 木曽、長良、揖斐3川出水。海西郡岡、野寺(平水より1丈5尺7寸高)に切れ入る。下石津郡萱野堤が切れ入水。 美濃気候編
1510 9.5 永正7.8.2 水害 揖斐川通り下石津郡萱野堤再び切れ入水。 美濃気候編
1510 永正7 暖冬 飛騨雪降らず。 飛騨編年史要
1514 永正11.夏 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
1518 永正15 干害・飢饉 池田郡大旱。大飢餓死者多し。 美濃気候編   益田郡史
1521 大永1 暖冬 飛騨雪降らず。暖春季の如し。 飛騨編年史要
1530 6.27 享禄3.6.3 水害 根尾川洪水。派流藪川を生じ、揖斐川河道を変ず。沿河地方被害多し。此時、本巣郡山口地先真桑方井水口へ切込み、長瀬七郷(府内、上下長瀬、赤石、結城、来振、藪)の内、藪村は澪先にて一村流亡し、新川(即ち藪川)となり、南して揖斐川に会す。尚揖斐川(当時杭瀬川と称す)は往昔、大野郡杉野より南西に流れ、不破郡赤坂の東に至りしが、此の洪水にて杉野より南東に流れを変じて現今の川筋となれり。(註)根尾川の下流は古昔、本巣郡曽井中島にて分派し、左を本川とし、右に流るるを糸貫川とす。而して、北左派せし本川筋は後に塞がりて田地となれり。其の年詳しかならず。即ち、往古は桑山の北を流れて西郷と鵜飼の郷の間を流れ、板谷川を合せ折立村に至り、木田川を合す。又云う。根尾川は鵜飼より方県郡一日市場に出で、河渡に至る云々。同所には今尚、根尾川と称する小川ありと云う。 往昔三川出水
1530 6.27 享禄3.6.3 雷雨 飛騨一宮社後大杉へ落つ。夏豊作。 飛騨編年史要
1534 10.13 天文3.9.6 水害 郡上川大洪水。流路を変へ、新川(現長良川)を生じ、家屋の流失、死傷者が多かった。長良川従来の河筋は、山県郡中屋にて右に流れ、太郎丸、高富、梅原を経て伊自良川を入れ、方県郡岩利より南流して今川、折立、黒野を経て、同郡木田村に至り、津保川の下流(今の長良古川と称するもの)を入れ、南流し、尻毛、江口に流れていたが、此の洪水により激流は中屋村より陸地を押破り、戸田村、側島村等を貫通して、各務郡芥見村に至り、津保川に会し(中屋村より芥見村まで新川を現出)2川1大河となり、下流厚見郡早田村字馬場に於て、井水口を押し破り、更に新川(現今の本流井川と云う)を現出し、早田、今泉、若木、元池ノ上、東島、江口など諸村の地を貫通せり。然るに、後慶長16年洪水の時河道再び変じて本流は方県郡鷲山、正木の南を流るるに至りしも後、此の川も漸次埋り、元禄、寛永の頃より、水は主に井川(天文3年前は巾8間なりしと云う)に流れて現状に至りしものと云う。 往昔三川出水
1535 3.17 天文4.2.14 水害 長良川出水。死者2万余、流家数万に上つたと云う。 厳助往年記   日本野史
1535 7.3 天文4.7.1 水害 また、長良川出水。溺死者数うべからずと云う。 仁岫録
1537 天文6 凶作 飛騨凶作。5月より霖雨。 大野郡史
1539 9.29 天文8.8.17 水害.飢饉 池田郡春日谷地方に大洪水あり、尋で大飢饉となる。 厳助往年記   美濃気候編
1540 天文9 水害 池田郡春日谷地方大洪水あり。之がため、大飢饉となり死者多し。 美濃気候編
1544 7.28 天文13.7.9 水害 長良川洪水。岐阜中川原を押し抜き流れ、市神榎が流亡した。 忠節用水記
1545 天文14 飢饉 飛騨大飢饉。餓死者多し。 上宝村誌
1547 5.19〜6.17 天文16.5 飢饉.火山 飛騨飢饉。白山噴火。白川郷は作物枯凋すると云う。 飛騨編年史要
1547 10.6 天文16.8.23 水害 揖斐川通り出水。高須輪中にて平水より高きこと1丈4尺9寸。安八郡今尾、下石津郡元西小島堤塘破壊入水す。 往昔三川出水
1548 8.9 天文17.7.6 水害 木曽川通り海西郡駒ヶ江、揖斐川沿い安八郡脇田(平水より高きこと1丈5尺)にて堤破る。 往昔三川出水
1549 5.8 天文18.4.11 水害 揖斐川通り下石津郡元萱野にて平水より高きこと1丈1尺5寸にて同所堤塘破壊す。 往昔三川出水
1550 9.12 天文19.8.2 水害 揖斐川通り出水。安八郡上開発村及び津村地内にて堤防数ヶ所破壊し、家屋の流失多し。 往昔三川出水
1550 10.10〜11.8 天文19.9. 冷夏 飛騨初雪降ること一寸許り。 飛騨編年史要
1554 天文23. 凶作 飛騨白山噴火し土砂を吹き飛ばし白川村内五穀一切実らず。 白川日記
1559 7.5〜9.1 永禄2.6〜7. 冷夏 飛騨例年より寒さ厳しく、6月中旬頃より雪降りて寒雨止む時なく乗鞍より吹雪下す。 飛騨遺乗合府
1561 5.14〜6.12 永禄4.4. 水害 長良川出水。安八郡大森村地内堤防14間破壊。 往昔三川出水
1566 10.14 永禄9.9.2 水害 長良川大水。山林田野を流し、川瀬を変じた。之を「枝広の洪水」と云う。              保戸嶋村保明過半流亡。又牧田川も大水、高畑字将棋頭で2派となり、河状を変じた。 山県郡史    養老郡史
1571 5.24〜6.22 元亀2.5 水害 木曽川大水。沿河の地に激流漲溢す。支川河木川も氾濫したが、被害不明。 往昔三川出水
1570〜1572 元亀年中 火災 飛騨白川照蓮寺炎上す。 飛騨編年史要
1572 1573 元亀3 天正1 水害 2ヶ年に亘り海津郡に洪水あり。時々大瀦水あり。家屋農作物の被害多く、度々藩主の救助を受け免租された。 美濃気候編
1578 6.17 天正6.5.12 水害 大雨洪水。被害は詳らかでない。 乙津寺記録
1584 天正12 干害 下石津大旱。人民飲料水に苦しむ。 美濃気候編
1586 1.18 天正13.11.29 震災 飛騨白川谷、死者300。M7.9近江長浜、美濃大垣震火。同年硫黄岳大噴火し、溶岩山麓道路を埋め、信濃峠一時杜絶するとのことなるも、噴火のためか、地震のためか明瞭ならず。 大日本地震資料
1586 8.9 天正14.6.24 水害 木曽川大洪水。各務郡前渡村以西流路を変じた。現木曽川を生じ、流亡した村落多い。この時駒塚、加賀野井両村の間に逆川を分派した。下流高須輪中では水嵩2丈程、輪中堤残らず水中に没し、堤の切れた所108ヶ所の多きに上つた。この時、牧田川も大出水、沿村各地を害す。(註)この洪水後の木曽川筋を以つて濃尾両国の境とした。 往昔三川出水
1595 9.13 文禄4.8.10 水害 木曽川出水。羽栗郡長池村の堤塘破壊し、同村及び田代村の寺及び民家が流失、対岸の里、小牧でも堤が欠壊した。 国秘録
1596 6.4 慶長1.5.9 水害 尾張、美濃国洪水。 当代記
1596 8.5 慶長1.7.12 水害 石津郡多良地方豪雨、多良川洪水。山野を押し流した。 浄徳寺記録
1597 慶長2 水害 長良川通り出水。厚見郡早田村にて家屋流失す。 往昔三川出水
1598〜1599 12.28〜1.26 慶長3.12 火災 高山町大火。 飛騨編年史要
1598 慶長3 水害 木曽川通り羽栗郡光法寺村にて堤塘破壊。同村及び中島郡須賀、大浦、三柳村にて人畜死傷、家屋の流失あり。反別52町外旧高1,500石程の地砂入、川欠となる。 往昔三川出水
1602 6.3 慶長7.4.13 水害 美濃国大水。木曽川通り羽栗郡三谷村堤1,000間余切れ、人畜の溺死、家屋の流失が多く、上流中野村の堤も切れた。 当代記
1604 9.7 慶長9.8.14 風害 美濃、伊勢、尾張、近畿、東海道諸国大風。 当代記     徳川実記
1604 9.28 慶長9.閏8.5 風害 美濃、伊勢、尾張諸国大風。 当代記
1605 9.3 慶長10.7.20 水害 呂久川堤、東西2ヶ所宛切れ、又大垣の下でも切れて、大垣、高須両輪中入水した。 当代記
1605 9.6 慶長10.7.23 水害 木曽川通り羽栗郡藤掛村堤が切れ、家屋を流失した。 当代記
1606 7.7 慶長11.6.3 水害 木曽川通り羽栗郡江川堤防破壊す。之を「伝馬切れ」と云う。 往昔三川出水
1606 10.2 慶長11.9.1 風害 美濃、近江、伊勢大風。(8月29日夜より1日巳刻まで)この他四国、近畿大風。 当代記
1607 10.4〜5 慶長12.8.14〜15 水害 美濃大水。木曽川通り羽栗郡米野村の堤400間程切れ入水。また、河渡川(長良川)でも破堤し、家屋が流失した。 当代記
1608 6.3 慶長13.4.21 水害 美濃、尾張大水。 当代記
1608 9.9 慶長13.8.1 水害 木曽川出水。羽栗郡村々堤塘所々で欠壊。 往昔三川出水
1609 9.8 慶長14.8.10 風害 大風。美濃、尾張、三川は10日午刻より亥刻まで吹く。 当代記
1609 9.14 慶長14.8.16 水害 木曽川大洪水。前年8月の水より3尺程高し。 当代記
1610 6.23 慶長15.5.3 水害 木曽川洪水。名古屋へ逓送する材木が残らず押し流された。 往昔三川出水
1610 7.8 慶長15.5.18 水害 西美濃大水。堤残らず切れる。 当代記
1610 7.31 慶長15.6.12 水害 木曽川洪水。中島郡加賀野井及び尾張国丹羽郡山名村、葉栗郡宮田村でも堤防が破れた。 往昔三川出水
1611 3.7 慶長16.1.26 火災 笠町(美濃)焼失。 談海後編
1611 9.18 慶長16.8.12 水害 長良川洪水。方県郡長良村崇福寺前、川となる。 往昔三川出水
1612 5.1〜5.30 慶長17.4 水害 木曽川洪水。尾張方堤塘所々破壊、美濃方の水害不詳。 往昔三川出水
1612 7.2 慶長17.6.22 風害 大風。美濃、伊勢、尾張3ヶ国強く吹く。 当代記
1612 7.24 慶長17.6.26 水害 木曽川通り大水。海西郡外浜村堤その他で切れ水害を蒙る。 往昔三川出水
1612 8.27 慶長17.8.1 風水害 風雨、洪水。昨今の雨に8月1日朝大水、美濃国曽称堤切れ大垣へ入水、大垣の下の堤も切れる。 当代記
1612 9.26 慶長17.9.2 風水害 大風雨。美濃大洪水。5,000人死ぬ。近江、伊勢、美濃尾張は風強し。 談海後編
1613 6.17 慶長18.4.29 水害 木曽川通り各務郡前渡村、その他下流数ヶ所で破堤。 当代記
1614 4.1 慶長19.2.22 水害 木曽川洪水。尾張国堤切れ、田畑損亡数うべからず。美濃国の被害は不詳。 美濃気候編
1614 6.6 慶長19.4.29 水害 霖雨、洪水。木曽川通り洪水、前渡堤切れ、その他美濃方の堤切れ多い。また、藪川でも洪水があつたが、被害不詳。 当代記     往昔三川出水
1614 6.19 慶長19.5.12 水害 天文13年以来の大水。先月末の大水で切れた諸国の堤、復旧前のこととて、又ぞろ切れ入り、和泉、河内、摂津、江州、美州、尾州の6ヶ国が取り分け被害多し。 当代記     美濃気候編
1614 7.9 慶長19.6.3 水害 杭瀬川筋安八郡曽根堤切れ、夜半大垣へ入水、酒已下皆水になる。 当代記     徳川実録
1614 8.6〜9.3 慶長19.7 水害 長良川洪水。方県郡長良村崇福寺前へ切入り新川を生ず。 崇福寺古図
1615 2.12 元和1.1.15 大雪 近江、美濃境4尺。 当代記
1615 4月下旬  〜5月上旬 元和1.4.上旬 凶作・飢饉 東濃降灰。秋作不良、大飢饉。 濃飛両国通史
1615 5.28〜6.25 元和1.5 雹害 池田郡大降雹あり。被害大なり。 美濃気候編
1616 7.14〜8.12 元和2.6 水害 揖斐川通り安八郡蛇池村脇田堤切れ、百輪中入水。 往昔三川出水
1616 9.11〜10.10 元和2.8 水害 揖斐川通り洪水。再び脇田堤切れ、翌3年正月澪止め成る。 往昔三川出水
1617 5.13 元和3.4.9 水害 木曽川洪水。爾来8月までに7度出水。松倉島(小網と牛子との間の村である)流亡した。 尾張地名考
1617 6.4〜7.2 元和3.5 水害・凶作 揖斐川通り安八郡脇田堤が切れ、7月に至るも澪止め成らず。高須輪中諸村大いに困却し、依つて許しを受けて大榑川を新規掘割。同5年12月に竣工したが、この間4ヶ年不作なり。(註)後に大榑川は廃川となる。 往昔三川出水
1618 6.23〜7.21 元和4.5 水害 牧田川出水。多芸郡島田村、高畑村、村境の堤14間切入り、耕地数町歩を害す。また、粕川洪水、池田郡黒田村で川欠した。 美濃気候編
1619 9.14 元和5.8.7 水害 木曽川通り羽栗郡江川村堤塘破壊。俗に之を「トンゴ切れ」と云う。また、同郡下流の小化村は残らず流亡して、現今河川となる。この他、美濃、尾張の田畑の損亡多し。(註)小化村は松笠の下、木曽川の中にあつた。 往昔三川出水
1620 元和6.夏 水害.飢饉 6日以後霖雨2ヶ月以上に亘り、7月中旬の豪雨にて、百輪中堤平越しとなり、海西郡横江村の堤防破れ、その他輪中堤防大破し、一面の泥海となり、貧民餓死するものあり。この際、脇田村池出来る。 美濃気候編
1615〜1623 元和年間 水害 武儀川通り山県郡三輪村(元宮上村)字宮前堤防50間破れ、耕地、家屋流亡す。 往昔三川出水
1622 元和年間8 凶作 飛騨凶荒。 飛騨編年史要
1625 9.2〜10.1 寛永2.8 水害 木曽川大水。長良川漲溢し、安八郡善光村南境に於て堤塘100間決壊。また、上流厚見郡池の上、東島で破堤した。 往昔三川出水
1626 7.9 寛永3.5.16 水害 木曽川通り各務郡前渡村及び長良川沿い安八郡善光村堤70間破壊す。 往昔三川出水
1627 3.8 寛永4.1.21 地震 諸国大震。池田郡の地亦震う。 美濃気候編
1627 9.15 寛永4.8.6 水害 長良川洪水。被害景況詳らかならず。 美濃気候編
1627 寛永4.夏 干魃 池田郡大旱。 美濃気候編
1629 5.26 寛永6.4.4 水害 長良川洪水。海西郡野寺村及び幡長村にて破堤122間に上る。 往昔三川出水
1630 9.7〜10.5 寛永7.8 水害 長良川洪水。厚見郡水位10合余、池上村にて200間、東島村388間、堤防破壊し、島輪中に入水。また、揖斐川通り房島堤も切れる。 往昔三川出水
1630 寛永7 飢饉 飛騨大飢饉、重頼家宝雲山肩衝を費って之を救う。 大野郡史
1631 寛永8 水害 長良川洪水。10合余。同川筋の破堤500間に上る。 県29年調べ
1631 寛永8 飢饉 飛騨大飢饉。 大野郡史
1635 5.3 寛永12.4.14 水害 長良川大水。水位10合。島輪中に入水、荒地出来、部内一円水下、作毛悉く皆被害。 往昔三川出水
1635 9.12〜10.10 寛永12.8 水害 長良川下流海西郡野寺村堤186間破壊、また、揖斐川堤も切れた。 往昔三川出水
1636 寛永13 水害 長良川通り方県郡長良村崇福寺前破壊し川瀬変り、厚見郡早田村馬場にありし長良川番所を中河原に移す。 往昔三川出水
1638 8.10〜9.7 寛永15.7 水害 長良、武儀、津保の諸川出水。其の他山県郡上ノ谷川出水切入る。長良川通り中島郡大須村入水し、徳林寺が流失。 往昔三川出水
1640 寛永17 凶作・飢饉 飛騨国中凶作、飢饉。餓死者多し。 濃飛両国通史
1641 7.19 寛永18.6.12 水害 吉田川大洪水。 県治水史
1641 寛永18 水害 木曽川通り各務郡前渡村の堤584間破る。 往昔三川出水
1641 寛永18 飢饉 飛騨飢饉。飛騨領主重頼家宝雲山茶入れを売り三千金を得て、飢民を救う。 飛騨編年史要
1641 寛永18 干魃 池田郡春より夏まで大旱。 美濃気候編
1642 寛永19 水害 揖斐川通り安八郡福塚村堤塘130間破壊。 往昔三川出水
1645 正保2 水害 揖斐川洪水。新たに中須川を生じた。 河川革命図
1647 7.3〜7.31 正保4.6 水害 牧田川沿い多芸郡大墳村堤防53間切れ入り、耕地数町歩を害す。 往昔三川出水
1649 9.26 慶安2.8.20 水害 木曽川洪水。堤防所々破壊し、木曽木材夥しく流失す。 往昔三川出水
1650 9.26〜27 慶安3.9.1〜2 水害 未曽有の洪水と云はれ、濃洲の低地は悉く水底に埋没し、岐阜、養老の間干上りたる所なく、舟で往来することが出来たと云う。木曽川通り羽栗郡江川、中島郡加賀野井其の他で破堤、長良川堤平越しとなり、安八郡にて破堤す。   揖斐川は大野郡房島、安八郡大島、発、津、佐渡等にて堤防破壊。大垣輪中堤防47〜48里の中、過半決壊、大垣城内に入水し、市街は悉く浸水、町家の庭にて水深8尺余。大垣領内のみにて死者1,453人(その他村々死者1,553人計3,006人)牛馬合せて710頭死し、流家、壊家3,502戸あり。この他、大垣領内外の橋悉く流失、材木45,000本、竹材30,000束、舟数10叟流失など被害甚し。藪川では、大野郡稲富上秋にて堤防破れ、稲富にて高520石の地押流される。牧田川通り上石津郡牧田堤数ヶ所破壊、耕地を害す。俗に「ヤロカの大水」又は「枝広の大水」と云う。 往昔三川出水  大垣市史
1651 9.15〜10.14 慶安4.8 水害 木曽川洪水。中島郡八神村にて80間、石田村70間、城屋敷村65間、一色村55間、長間村70間の堤塘が破壊。 往昔三川出水
1652 11.9 承応1.10.9 火災 郡上八幡大火。 濃飛両国通史
1653 7.3 承応2.6.9 水害 揖斐川大水。下石津郡宮地村に於て水量8合9勺。同所の堤塘破壊せり。 往昔三川出水
1653 8.23 承応2.7.1 水害 木曽川通り羽栗郡松本村で破堤す。 往昔三川出水
1653 9.22〜10.21 承応2.8 水害 揖斐川出水。大野郡島村、福島村にて堤塘150間破壊。耕地数10町歩荒地となる。 往昔三川出水
1654 8.24 承応3.7.12 水害 木曽川通り羽栗郡江川村その他村々で堤塘破壊す。 往昔三川出水
1655 7.4〜8.1 明暦1.6 水害 牧田川出水。上石津郡牧田村堤塘数ヶ所決壊、耕地川敷となる。是年庄川洪水あり。 美濃気候編   越中史料
1656 4.16 明暦2.3.22 水害 可児川出水。120間破堤。また多芸郡津屋川出水、河道を変ず。 往昔三川出水
1658 8.15 万治1.7.17 風水害 美濃国大風、洪水。 徳川実紀
1659 10.16〜11.14 万治2.9 水害 木曽川通り中島郡馬飼村及び長良派川、大榑川沿い、安八郡海松新田堤塘破壊。また、牧田川沿い多芸郡大墳村で堤長21間切入り、耕地数町歩を害す。 往昔三川出水
1660 7.8〜8.5 万治3.6 水害 木曽川通り羽栗郡沿河の村々破堤、家屋の流失多く、また揖斐川も洪水にて大垣輪中入出し、大垣城内へも押し入った。 往昔三川出水
1661 7.16 寛文1.6.20 水害 揖斐川通り下石津郡福岡村堤塘破壊す。 往昔三川出水
1662 6.16 寛文2.5.1 震災 美濃諸国の地大いに震い、人畜屋舎被害多し。M7.6 大日本地震史料
1663 寛文3 干魃 東濃、九州、江戸大旱。 濃飛両国通史
1664 9.20〜10.18 寛文4.8 水害 長良川出水。武儀郡曽代村、上白金村、下白金村などにて堤防破堤、耕地、山林など荒地又は川敷となる。板取川沿い武儀郡長瀬村にても堤塘100間を破壊、耕地の流亡多し。 往昔三川出水
1665 9.9〜10.8 寛文5.8 水害 飛騨川の支川、白川洪水。加茂郡越原村を初め沿河の地激流漲溢して田圃を害し、家屋の流亡多し。 往昔三川出水
1666 7.2〜7.31 寛文6.6 水害 揖斐川筋出水。安八郡曽根村堤破れ、大垣輪中入水、床上に及ぶ。 美濃気候編   大垣市史
1666 8.3 寛文6.8.1 水害 木曽川洪水。美濃にては田畑高9,300石入水、家屋24軒流失す。尾張の被害特に激甚であった。 玉露叢     美濃気候編
1668 9.7〜10.5 寛文8.8 水害 飛騨、高原川大水。吉城郡船津の板橋が流失した。 飛騨編年史要
1670 7.17〜8.15 寛文10.6 水害 長良川支川大榑川通り安八郡海松新田の堤塘破壊す。 往昔三川出水
1672 6.25〜7.23 寛文12.6 水害 長良川通り武儀郡曽代村堤塘破壊、耕地流亡あり。 往昔三川出水
1673 4.17〜5.16 延宝1.3 水害 木曽川通り羽栗郡その他沿河の地及び大榑川沿い、安八郡海松新田堤塘破壊す。 往昔三川出水
1674 4.3 延宝2.3.25 水害 長良川通り海西郡野寺村の堤塘破壊し、支流板取川沿い武儀郡片知村の耕地流亡。また、牧田川沿い多芸郡大墳村堤30間切入り、耕地数町歩を害す。 往昔三川出水
1674 8.31 延宝2.8.1 水害 美濃加納、洪水にて堤防800間破れ、田圃27,000石被害を蒙る。 徳川実紀
1674 9.11 延宝2.8.12 水害 木曽川通り下石津郡福江村本堤並びに中堤萓野にて破壊す。 往昔三川出水
1674 延宝2 水害 揖斐川通り安八郡平村地内堤防決壊入水す。大垣町家にて襖引手迄浸水。 往昔三川出水  大垣市史
1674 延宝2 飢饉 飛騨飢饉。 濃飛両国通史
1675 7.25 延宝3.6.3 風水害 美濃加納大風雨。田畑大半損亡。 玉露叢
1675 7.23〜8.20 延宝3.6 水害 長良川派川大榑川通り安八郡下大榑村堤防60間破壊す。 往昔三川出水
1675 延宝3 飢饉 飛騨前年に続き飢饉。大凶荒。高山城下餓死するもの数万に及ぶ。 飛騨編年史要
1676 8.13〜14 延宝4.7.4〜5 風水害 大風雨、洪水。木曽川通り中島郡八神村堤切れ、また可児川沿河の地堤150間破る。 往昔三川出水  山鹿素行日記
1676 10.8〜11.5 延宝4.9 水害 長良川支川武儀川通り武儀郡跡部村堤88間破れ、田畑被害多し。 往昔三川出水
1677 7.3 延宝5.6.4 竜巻 美濃竜巻。土岐郡小田村。 濃飛両国通史
1677 6.30〜7.29 延宝5.6 水害 上之保川通り(長良川上流)郡上郡有阪村に新川を生じ、耕地5.6町歩川敷となる。また、長良川の派川大槫川通り安八郡下大槫新田の堤80間を破壊。 往昔三川出水
1677 延宝5 水害 粕川流れを変ず。 河川沿革図
1678 9.19 延宝6.8.4 水害 濃尾両国大雨、洪水。 徳川実紀
1679 2.9 延宝6.12.28 火災 大垣大火。300余戸を焼く。 濃飛両国通史
1679 6.23 延宝7.5.15 水害 揖斐川通り下石津郡帆引新田本堤並びに札野中堤破壊。                       また、飛騨諸川満水し、橋梁流失多し。 往昔三川出水  大野郡史
1679 8.7〜9.4 延宝7.7 水害 飛騨洪水。 濃飛両国通史
1679 10.11 延宝7.9.7 水害 高須輪中萱野村地内堤再び切り入る。 三摩我観録
1679〜1680 12.3〜1.1 延宝7.11 慧星 慧星現はる。 濃飛両国通史
1681 3.28 天和1.2.9 地震 東濃地震。 大日本地震史料
1681 5.18〜6.15 天和1.4 凶作・飢饉 東濃降灰。秋作不良大飢饉。 濃飛両国通史
1681 8.3〜4 天和1.6.20〜21 風水害 美濃国大風雨。20日晩景に及んで風雨烈しく、夜に入って大風、大雨あり。丑の刻になって風雨漸く止む。大垣市街の崩家、士族家敷209軒、町家104軒、大垣領内では3.000余軒、死者11名、馬2頭、城の内外破損甚しく。その数を知らず。 大垣市史
1681 8.6 天和1.6.23 水害 大垣輪中入水。 三摩我観録
1681 9.2 天和1.7.20 風水害 揖斐川通り大野郡三輪村堤防40間破壊す。(註)日本気象史料によれば、この日伊勢、尾張、暴風雨とあり。 往昔三川出水日本気象史料
1681 9.25 天和1.8.14 風水害 揖斐川通り大野郡上野村堤防50間破壊す。 往昔三川出水
1681 10.15 天和1.9.4 水害 木曽川通り下石津郡福江村本堤及び萱野中堤切れ入水。 往昔三川出水
1683 8.15〜16 天和3.6.23〜24 水害 揖斐、長良両川洪水。長良川通り安八郡森部村堤70間、南今ヶ渕村70間を破り、また、逆川沿い(長良支川)中島郡江吉良村堤60間、揖斐川沿い安八郡曽根村堤28間を破壊し、大垣町入水。城下町床上2尺7寸、城内三ノ丸御台所内庭にて膝節まで浸水、人々7月1日まで二階に住居す。なお、大垣輪中下筋にても堤塘所々破壊し、市街は南北二方より水押し入る。 往昔三川出水  大垣市史
1683 天和3. 水害 阿木川洪水。大井橋が流失した。 古山家記録
1684 3.16〜4.14 貞享1.2. 水害 可児川洪水。可児郡内にて堤200間破壊。 往昔三川出水
1684 8.11〜9.9 貞享1.7 干魃 飛騨諸国大旱。 日本気象史料
1686 4.1 貞享3.3.18 火災 今泉村から出火。被害次の通り。岐阜県42ヶ町、家数1,450軒、今泉村4ヶ町、家数212軒、古屋敷村6ヶ町、家数222軒。明屋敷村、家数211軒、〆家数1,921軒。死者2、土蔵400余の内40残る。 岐阜市発展史
1687 7.14 貞享4.6.6 水害 木曽川洪水。加茂郡取組村にて中仙道に氾濫。また、神通川洪水。木材多く流れる。 往昔三川出水  富山市史
1687 10.2 貞享4.8.26 水害 木曽川洪水。加茂郡取組村に於て、激流のため民家23戸流失、耕地の流亡多し。 往昔三川出水
1688 9.21〜13 元禄1.8.18〜19 風水害 大風雨、洪水。揖斐川通り大野郡三輪村及び上野村堤塘所々決壊。また、揖斐川は是迄安八郡平村より古宮村、深地村、難波野村へ流れ居りしが、河線変じて牧村の東へ流れ以後本流となる。また、中須川も河状を変じ揖斐川へ直流する。此の時、大垣輪中へ入水、流家5軒、潰家29軒、堤切れた所20ヶ所、浸水田畑10,700石余。 往昔三川出水  大垣市史
1689 5.19〜6.16 元禄2.4 水害 可児川出水。可児郡にて堤防50間破壊。 往昔三川出水
1690 9.16 元禄3.8.14 水害 長良川派川大榑川筋安八郡大藪村堤塘破壊。 往昔三川出水
1691 4.28〜5.27 元禄4.4 水害 長良川通り安八郡大森村定50間及び津屋川沿い多芸郡釜之段新田で破堤入水。 往昔三川出水
1691 5.28〜6.25 元禄4.5 水害 長良川派川大槫川筋安八郡海松新田堤50間切れ、下大槫新田でも堤塘破壊。 往昔三川出水
1691 6.29〜30 元禄4.6.4〜5 水害 木曽川通り海西郡駒ヶ江村、揖斐川通り安八郡難波野村破堤、大垣市街に入水。人民3日間二階住いをなす。 往昔三川出水
1691 元禄4 凶作・飢饉 飛騨飢饉、稲作凶。 飛騨編年史要
1691 元禄4 疫病 飛騨痲疹流行。 飛騨編年史要
1692 10.13 元禄5.9.4 火災 大垣大火。 続皇年代略紀
1693 7.3〜8.1 元禄6.6 水害 長良派川大槫川筋安八郡大藪村堤塘破壊。また、牧田川筋多芸郡大墳村堤12間切れ入水した。 往昔三川出水
1693 元禄6 疫病 美濃疫癘流行。 濃飛両国通史
1694 9.19〜10.18 元禄7.8 水害 長良川通り中島郡小藪村堤90間破壊した。また、此の年洪水のため、吉城郡船津の板橋流失す。 往昔三川出水飛騨編年史要
1695 9.3 元禄8.7.25 風害 方県村付近大風。 稲葉郡志
1696 3.5 元禄9.2.2 火災 美濃加納東天神町より出火。136軒焼失。 加納町史
1696 9.17 元禄9.8.21 水害 飛騨出水あり。 飛騨編年史要
1697 6.19 元禄10.5.1 水害 飛騨出水。 飛騨編年史要
1698 8.1 元禄11.7.5 火災 岐阜矢島町より出火。町数22町被害家数803軒、毀家11軒、土蔵2という大火があった。 岐阜市発展史
1699 7.28 元禄12.7.2 水害 木曽川通り海西郡日原村、長良川通り堤防所々破壊す。揖斐川筋も被害あり。また、津屋川沿い多芸郡志津新田堤も切れ入水す。 往昔三川出水
1699 9.8 元禄12.8.15 風害 飛騨大風。 飛騨編年史要

岐阜地方気象台編『岐阜県災異誌』を再編集・データベース化しました。

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