飛騨天生湿原の研究(その2)
1.研究の動横・目的 この天生湿原の研究(その2)は、昨年の研究を継続発展させたものである。飛騨には天生湿原の他にも図1に示したようにいくつかの湿原が点在している(各湿原名は便宜上命名したものである)。これらの湿原を総合的に研究するための模式的湿原として天生湿原をとりあげた。研究目的としては、昨年の本誌で発表したように、湿原という1つのまとまった自然系の現在の姿を明らかにし、かつ、過去の湿原の環境を解明することである。同時に、いかに湿原という存在が自然の微妙なバランスの上に成り立っているものかという点を追求し、かつ、自然と人間の望ましいあり方を予測するためのデータとなり得ることを願っている。 2.研究の経過 昭和50年度の料学作品展に、天生湿原のj旺究の第1回の発表をしたがこの段階では湿原研究の今後の方向性を示唆したにとどまり深い追求は今後の課題として残されていた。昭和50年10月から51年4月にかけて、研究計画の総点検と立案を行い、文献調べ、データの整理、花粉分析と花粉のスケッチ、調査用具と研究用具の整備(検土杖・測量器具・垂鉱物分離用具・花粉分析の用具など)を行った。5月30日にようや〈雪の消えた天生湿原へ第2固めの現地調査に出かけ、植生、形態測量、検土杖(最深3m)およびハンドオーガー(最深5m)によるボーリング・手掘りによる150cmの連続試料採取を行った。6月、7月にこれらの調査結果のまとめと宇内研究(泥炭の水分含量、収縮率、PH、粒度分析及び花粉分析、火山灰分析など)を実施した。そして夏休みの現地調査の重点目標を決め、計画を立てた。8月1・2日に第3回現地調査を行った。計画では3日までの予定であったが昨年同様天候に恵まれず十分な調査はできなかったが、今後も天生湿原に取り組まねばならない。8月・9月と調査結果をまとめ、第2回現地調査と同様な宅内研究を行った。しかし昨年に比べるとボーリングが5mまで可能となり、泥炭層が5m以上あることが確認されたが、それだけ分析すべき試料が増えたため、花粉分析による古気候の復元は今回の発表には断念せぎるを得なかった。したがって泥炭層の分析は火山灰層の研究に主力をおいて行い、それをまとめて発表したが、まだまだ調査研究の必要がある 3.研究の内容 今回の研究は大きく(1)天生湿原の環境、(2)天生湿原の形態と棺生、(3)泥炭の性状、(4)火山灰分析の4部分から成っており、それらの研究内容とともに、研究の方法も合わせて紹介したい。なお昨年発表した事項については省略する。 (1)天生湿原の環境 天生湿原を取りかこむ環境として@地形、A地質、B気候、C植生などが考えられる。これらが湿原の形成要因としてどのように働いているかという観点から研究をした。 @ 地形:方法としては国土地理院発行の5万分の1および2万5子分の1の地形図、営林署で作成している5子分の1の柿小姓地図を用い、切峰面図、段彩地図、水系図を作成してその地形的特徴を考察した。さらにアーツ衛星写真も参考にした。航空写真も利用する計画であったが、今回は間に合わなかった。調べた結果天生湿原の存在する北部飛騨山地は、壮年期地形を特徴づける深いX字谷と、比較的なだらかな山頂部とから成り立っており、なだらかな山頂都は1,000m〜1,700mにわたって数段の高位平たん面を形成している。これらの平たん面の分布はいくつかのプロッタに区分されるが、特徴的なのは跡津川断層を墳として北西側が、1,100m〜1,400mに対して南東側が900〜1,200mを示すことである。跡津川断層の過去の変動方向を示すものと考えている。天生湿原は跡津川の南側に位置しており、その成因に関してこの断層の活動が関与していると考えている。 A地質:湿原の付近には天生峠および峠辻より湿原のある南方へ林道がつけられつつあり、詳しい地質調査を行う予定であったが、先に述べたように天候の関係で精査は行っていない。ただ概査によると、峠より湿原に至る区間は、断層破砕帯らしく全体に軟弱な地盤である。付近には飛騨変成岩顆が分布するが、湿原付近では黒雲母片席岩、角閃石片林岩、品質市坑岩などがほぼNE〜SW方向に分布しており、天生湿原付近はその岩体のほぼ西緑にあたる。 B気候:年間を通して観測すると良いと思われるが交通が不便であり、冬はかなりの積雪を見、残雪も5月終わりでないとなくならない所(根雪期間約90日)で現段階ではそれはほとんど不可能である。夏の調査には、簡易百葉箱を作成(図3)して気象観測を行った。しかし、全県的な資料によれば1月および7月の平均気温は各−60c・200cであり、1,400mという高さもあって冷涼な気候である。年間降水量は、冬の多雪もあって約2,200mmと多い。夏も雨は多めである。 C植生:裏日本型のブナ柿が分布している。湿原はブナの原生林に覆われている。樹齢は約170年くらいである。今年の秋に湿原付近の原生林の伐採が行われ始めた。来年の調査時には天生湿原の環埠も変化していると思われる。この伐採されたブナを古川営林署および業者の方の御好意で資料としてなん本かいただき、年輪を調べて古気候の復元に活用すべく研究を進めている。 (2)天生湿原の形態と植生 形態測量は、基本骨格をトランシット、鋼尺を用い、細部はクリノメータ、巻尺を用いて行った。天生湿原は、3つの湿原(東、中、西湿原と呼ぶ)から成りその形態および位置は図4で示したようになっている。このうち東・中湿原は宮川水系に、西湿原は庄川水系に属している。各の湿原は独立しているが、その成因は先に述べたように1つの原因と思われる。東湿原は最大の大きさをもち、匠屋敷と呼ばれる小丘がある。この匠屋敷の東側を南から北へ幅50〜60cmで流れる小川と、北側を西から東へ流れる幅20〜30cmの小川があり湿原の北側で合流して湿原を流れでており、流速は非常にゆるやかである。また残雪がなくなったころ、は湿原の中央から南側にかけて、匠屋敷を中心とした弘を描くように小池がしま状に並ぶ。中湿原は2番目の大きさである。池,の多い北部・中央付近まで低木の進出している中央部およぴレンズ状の丘になっている南部にわかれる。湿原の南部では西側を中・北部では東側を幅40−150cmの小川が南から北へ流れている。北部は池をなしている。西湿原は、中湿原から約5mの尾根(宮川と庄川の分水嶺)を越えたブナ林・ナシマザサの中にあり、ほぼ円形をなし、全体がレンズ状の構造をしており、湿原の西側を帽20−30cmの小川が北西へ流れている。この湿原の東側はかなりの樹木の進出がみられる。植生調査は、5月末と8月初めの2回行った。方形わくも用意していたが、実際には、湿原形態図に植物を調べて記入をした。従って本来の植生周と比較すると不十分なものであるが、湿原を訪れたとき最も目だつ植物を選んで植生図を作成した。5月末では、ミズパショウ、8月は、モウセンゴケ、ワタスゲ、ニツコウキスゲ、ヤマドリゼンマイ、ハイイヌツゲなどが特徴的である。水生植物としてはミツかシワがある。これらのなかで、ヤマドリゼンマイ、ハイイヌツゲ、ニツコウキスゲは湿原内では、乾燥化の進んだ部分に分布する傾向があり、ミズバショウは、湿原内の小川の周辺などの水分の多い部分に分布する。ワタスゲは湿原の中央などに点在しているので、この植物によって、湿原の乾燥地域・湿潤地域の別をはっきりさせることはできなかった。 (3)泥炭(湿原たい横物)の性状 湿原を形成しているたい積物はどのようなものから構成されており、それらはどのような性質を持っているのかを調べるため、垂直方向にボーリングをしてたい積物を採取した。一方、湿原は一般的に池の時代一低層湿原の時代一高層湿原の時代を経てやがて草原となり森林となっていく。従って、たい樽物を採取してそれを調べることにより、湿原がどのような過程を経て形成されてきたかを知ることができる。試料を採取するには、直接手で湿原に穴を堀り、たい積物を観察、採取するのが最も望ましい。しかし湿原の保護と多大な労力を考えるとボーリング器具にたよらぎるを得なかった。概略をつかむためには、図6に示したような検土杖を用いてボーリングを行い、大まかな層区分を行った。この調査の結果で最も牢くたい積している部分を、ハンドオーガー(図7)を用いてボーリングを行った。実際ボーリングを行った地点は、水分の少ない所で比較的泥炭層の厚い部分を選んだ。また、たい博物の上層は、植物遺体が十分分解しておらず、現生の植物の根などが密集しているため、手掘りを行い150cmの連続試料を採取した。湿原をボーリングあるいは手掘りをすると音尼炭水がどんどんわき出して、検土杖の溝の資料が流出することがあるので、今後ボーリングを行う器具を開発しなければならないと思い、現在、考案中である。乱きない連続試料が採取でき、かつ手動で行える簡便なボーリング機器をぜひ開発したいと思っている。それができれば湿原の研究は時間的にも、正確さにおいてもまた自然保護の上からも誠に申しぶんないと思われる。 @たい積物の層序:湿原のたい積物は、大部分が泥炭と呼ばれる分解不完全な植物遺体で1種の生物岩である。この泥炭層の層区分はその分・解度で行う。VO皿Postの握り法で行った。自然状態の泥炭を手で握り、指の聞から出る水の色と量、泥炭層と手中に残った植物遺体の量によって10段階に分ける。また泥炭層中に火山灰層や砂層がなん枚か挟在している。東湿原において7か所ボーリングを行った。一般的に分解度は深きとともに進んでいる。ボーリングを基にして東湿原の断面図を描くと下図のようになる。今のところ最深は5m以上であるという点までしかわからない。面積の小さい湿原にしてはまた一般的な泥炭層の厚さ(1.5m〜6m)に比べてもかなり厚い泥炭層だといえる。 A水分含量の季直変化:泥炭は平均75−90%の水を含んでいる。しかし、火山灰層あるいは砂層などがある場合もしくは、圧縮などにより水分含量が少なくなることがある。そのようなことを調べるために水分含量を求めた。試料を測り、それを乾燥させてどれだけ軽くなったかを計算し乾燥前の質量で1判って%を計算する。その結果は図9に示した。 B泥炭の収縮率:手掘りで採取した泥炭を角柱に5cmごとに印をつけて自然燥させた。150cmの音尼炭が93cmに収縮したが、その率は図9でわかるように上層は、10〜30%とたいへん小さい率であり、20cmより深くなるにつれ率は40%前後となっているが、火山灰層などがある部分はやや小さい鳩を示す。 C泥炭のpH:pH値は率直方向にどのような変化をし、それが音尼炭の分解度、火山りこ層などとどのような相開聞係があるかを調べた。測定は、試料2gに純水を25cc加え、静かにかく拝し、PHメータで行った。その結果は、表2に示した。それによると、探さが増すにつれて中性に近づくことがわかる。泥炭の分解度と比較すると分解度が進むにつれpHが7に近づくらしい。 D粒度分析:どのような粒度のたい楕物があるかを深きごとに調べ、たい積環境の推定の助けとする目的で行った。また、先に述べた水分含量・収縮率などとの関係も調べる目的があった。方法は乾燥した試料を乳ばちへ入れ、粒子をこわさぬようにバラバラにして、ふるいにかけてそれぞれの段階の重量を測り%で表した。分析は10cmごとに東湿原で4mまで、中湿原で340cmまで行った。その結果、1mm以上の粒度の砂は探さによる変化が大きいが、それ以下の粒度のたい積物はあまり変化しない。ただ全体に基盤に達するまでは2mm以上のれきはほとんど挨在してこない。 (4)火山灰分析 天生湿原の西南西26kmに白山が位置しており、白山の噴火による火山灰降下が十分考えられる。そこで湿原たい積物中に火山灰が含まれてくるはずであり、事実いくつかの火山灰層が認められる。火山灰の鉱物組成を調べることにより、白山の噴火の歴史と結びつけ湿原の形成の過程を知る手がかりとなる。方法としては、まず一定量の泥炭を水で洗い火山灰を残す。ここで火山灰をひよう量し泥炭中の火山灰の重量%を計算する。次に火山灰鉱物を比重2.9以上の重鉱物とそれ以下の軽鉱物に分離するいわゆる重液分離を行う(重液にはクレリシ液を用いた)軽・重鉱物別にプレパラートを作成し、偏光顛徴鏡にメカニカルステージを取りつけて鉱物の種類別に計数を行った。統計処理可能な火山灰があったのは探さ70cm(多)170cm(多)、180cm(少)、210cm(少)、275cm(少)、330c也(少)の6点であった。他の部分はほとんど火山灰こが有砧しない。各深さにおける重量%との鉱物の1き川合は次のようになった。結果をみると、垂鉱物は330cm以外は割合が小きい。鉱物としては紫蘇輝石が全般に多く次に普通輝石となっている。他の重鉱物は認められなかった。軽鉱物についてみると、70cmと275cmの深さでは二行英が約半分を占めているが、170cm・180cmおよび210cmでは火山ガラスが大部分を占めている。以上のように、天生湿原に火山灰を供給した火山活動は鉱物組成からみると3つのタイプに分類できそうである。しかし火山坑供給火山(おそらく白山)の噴火の歴史と対比をつけるまでに至っていない。今後の重要な研究課題としたい。 (5)その他--花粉分析・ケイソウ分析-- 天生湿原の生い立ちを研究するなかで花粉分析による古植生の復元およびそれから推定される古気候解明もたいへん重要である。しかし花粉の同定は簡単にはできないので同定の方法等を再検討する計画である。花粉の種類としては約50種を確認している。またケイソウ分析では、その出現率と種類から、池あるいは湿原の状態だったということやもし池の時代であれば水の状態などを推定するのに重要である。今回は0〜150cmまでの試料について分析を行ったが、ケイソウは発見できなかった。少なくとも、150cmの深さまでの時代は他の時代がなかったことを意味していると思われる。 4.研究のまとめ 湿原は最も現在に密着した過去を物言吾ってくれる存在であり、特に我々の生活している飛騨山地にはいくつか点在している。その中で手始めに天生湿原を目的の項で述べたように多方面から追求し、1つの自然系としての姿を明らかにしようと研究を続けている。天生湿原は飛騨山地の1,400m高位平たん面上にほぼ東西に並ぶ3つの湿原群をなしている。その成因についてはまだ未確認であるが跡津川断層の活動が関与していると考えられる。泥炭層の厚さは東湿原で5m以上、中湿原で約3.5m、西湿原は未確認である。時代的にはほぼ沖積世の初期〜中期からたい積を開始したものと考えられる。基盤までの連続試料が得られ、花粉分析などを確実に行えば、飛騨における沖積世の気候状態も解明できるものと思われる。火山灰層の研究も現在の段階では東湿原の試料で深さ4mまでを終了した結果、垂鉱物は輝石特に紫蘇輝石で特徴づけられる火山活動であることが確認できたこ この点では白山に由来するものと考えることができる。湿原研究の第一に手をつけた天生湿原はかなり重要な事柄を秘めているようである。 |