分水嶺礫の謎 飛騨内陸盆地の研究 その3

-特に南北分水嶺礫の形成に関連して-  昭和57年

1.研究の動機・目的

 一昨年から.継続して飛騨内陸盆地の研究を続けた結果,盆地形成のメカニズムが次第に明らかになってきた.その中で,飛騨山地を日本海側と太平洋側とに大きくわける南北分水嶺の成因は,地塁構造であろうと推論していた(科学の芽7・8参照)。奇しくも分水嶺上に礫層が発見きれ,分水嶺の形成,さらに盆地形成のメカニズムを解く鍵となるのではないかと考え。本研究を行った。

2.研究の経過・方法

 飛騨内陸盆地の研究は,一年日の研究システムの確立,2年目のテフラ・木材化石の絶対年代測定を用いての編年と進み,3年目の今年度は今までの研究成果の上に立って,盆地形成の主要因である断層運動に的を絞った。研究方法は原則的には一昨年の研究システムに従ったが,分水嶺形成のメカニズム解明のために,次のような項目について調査研究を行うことにした。〔地形の特徴解明のため〕地形図・航空写真・現地調査により,立体模型・地形断面図・起伏量図・水系パターン・水系密度図・接峰面図・活断層図・地形区分図を作成し,考察を加えた。また〔地質特徴解明のため〕主に野外調査により.基盤地質,第四紀堆積物(レキ・テフラ・火砕流)の様子を調べた。特にレキ層については,レキ種・大きき・円磨度・扁平率等を調べ,レキ層の区分や供給源を探った。さらに,段丘対比のためテフラと,火砕流の傾斜を知るために盲地磁気や,地下構造を知るために電気探査をそれぞれ行い,その裏付けを得ようとした。

3.研究の内容

 古川・高山両盆地は,いずれもNE−SW及びNW−SE両方向の断層によって囲まれた地域が陥没して形成きれたと考えられている。高山・古川両盆地を境するのがNE−SW方向の地塁であり,高山盆地と大西盆地(仮称)を境するのもやはり地塁である。しかし.この2つの地塁の大きな逢いは後者一分水嶺−の頂部及び南斜面にレキ層すなわち段丘堆積物が分布していることである。地形的にも.かなり解析が進んでいるが,明らかに平担面が認められ,段丘面であることがわかる。地形の特徴として次の点が明らかとなった.分水嶺の北側は,江名子断層(NE−SW方向で右水平ずれ)により高山盆地と境され,起伏量の大きい,急な斜面をなしていて,高山盆地から分水嶺を望むとちょうどびょうぶを立てたようにみえる。山頂部は標高約1000mの平坦面をなしている。山頂部から南側は起伏量も小さく,階段状に高度が下がっている。航空写真等から活斬層と思われる線構造を調べてみると北側は,江名子断層が極めて明瞭に存在しているが,南側は,約10本の断層がほぼ平行に走っているのが特徴的である。最も南側の断層を山梨断層他の断層をまとめて美女峠断層群と呼ぶことにした.細かくみると,これら断層群さらには江名子断層も宮峠の西方の一点に収れんしてい〈ことがわかる。分水嶺をなす地塁がクサビ状になっていることを示している。基盤地質の上からも西側の濃飛流紋岩中へ,東側の中・古生層がクサビ状に突出していて,地形の特徴とうまく一致する。地質の特徴として次の点が明らかになった.従来の地質図では,中・古生層(砂岩・チャートが主)及び荒城川火砕流(輝石安山岩)のみが記載されており,レキ層は記載されていなかった。今回新しく調査した第四紀堆積物は図1のような模式柱状図にまとめることができる。図1の中の安山岩凝灰質砂層は,高山盆地に分布する荒城川火砕流・岩滝火砕流にそれぞれ対比される。この2層を鍵層として,上位・中位・下位の各レキ層については,図1のように高山盆地のレキ層との対比が可能となった。なお最上位の赤色ローム層はラミナが認められ水中堆積物と考えられるが,分析の結果,黒雲母・石英によって特徴づけられるテフラが含まれていることがわかった。これは高山軽石層に対比される。高山盆地・久々野町の高位段丘上にも高山軽石層は分布しており,この点からも分水嶺をつくる段丘は,上記の高位段丘と対比される。三層のレキ層の特徴についてまとめると,次のようになる。大きさは下位から上位へと小さくなる傾向がある。レキ種の割合は,下位から上位になるに従ってチャート・砂岩が増加し,濃飛流紋岩が減少する。上流の地質分布から考え,南部の濃飛流紋岩地域から,北部の中・古生層地域へとレキの供給源が変化したことを物語っている。図2は,現在の分水嶺の南北断面の模式化したものである。図1に示した層序が繰り返し現われ,階段状に分水嶺が隆起したことを物語っている.同様のことが地形や断層の研究からもいえる。また,露頭でもいくつかの断層が観察されるが,それらは北側が南側にオーバーラップする逆断層である。地層の傾斜は大西盆地のふもとで小さく,地形的に急斜面をなす所で大きく,頂部平坦面ではほとんど水平である。荒城川火砕流の古地磁気を測定した所,地層の傾斜に対応した伏角の変化がみられた。分水嶺の形成過程:洪積世前期〜中期頃(昨年の木材化石の年代測定値から),高山盆地と大西盆地は一続きの盆地を形成していたと考えられる。その当時の南北断面を図3に,高山盆地側からみた鳥瞰図を図5に示した。現在,太平洋にそそぐ益田川は現在の分水嶺付近を通って高山盆地へ流れ込み,日本海へとそそいでいたものと思われる。その後洪積の中期以降,SE−NW方向の圧力によって江名子断層・美女峠断層群が活動をはじめ,分水嶺部分が,隆起をして分水嶺を形成し,その流れは北から南に変わり,現在の姿(図4)になったと思われる.





(岐阜県児童生徒科学作品展「科学の芽」より)

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